エロスとタナトスを超えた2人

「永遠の少年」シャーロックと、その「ペルソナ」であるジョン。
切り離せない究極の一対、みたいな文章を前にアップしてます。
シャーロックとジョン-魂の同伴者-
でもS2E3ではその切り離せないはずの片割れが失われてしまった(少なくともジョンにとっては)ところでタイムアップ。
魂の同伴者がいなくなって、S3までの間や再会後のジョンはどうなっちゃうのか?を書いてみたかったのですが…。
自分の中に答えはあるのに、なかなか文章になりませんでした。

その間あちこちのサイトで色んな二次小説読ませてもらったり、海外にはこんな内容のファンフィク(Fanfiction=ファン小説)があるよという情報に接したりしてました。
そして結局、ジョンは後追いするほどの絶望は決してしない。再会後も多少ぎくしゃくするものの、この2人なら必ず乗り越えられる。
…という結論に達しました。
なぜならこの2人の結び付きは、いわゆる恋愛関係(エロスの愛)を超えた、相手に見返りを求めないアガペの愛だから…だと思うのです。
いざとなれば自分の命まで、お互いに相手に差し出せてしまえる間柄なので。
ex; S1E3でのジョン、S2E3のシャーロック
(補足:シャーロックについては、命まで捧げてないじゃんって話ですが、あのプライドの高いシャーロックが「僕はいかさまだ」と言ってるわけで、彼にとっては死よりも辛いことなんじゃないかと…)

アガペ…無償の愛(という表現はあまり好きではないのですが…)がどういうことかというと、単純化すれば「好きでも嫌いでも家族」(出典:マルモのおきて)ってコトだと思う。
相手や自分のその時々の感情や都合に関係なく、先ず相手のことを思うのが当たり前の感覚というか…。家族ってそういうもんだもんね。
エロスってば基本、人の心のごく一部分である感情面の状態のことだと思えるので、先ずは自分っていう主体があってその自分が相手を好きになる。 この場合相手からも同じ気持ち(好きという感情)が返って来なければ、エロスは意味のないものになってしまう。…ので、どうしても見返りを求めるカン違い組(ストーカーとか)も現れる。
アガペの愛はそういった表面的な感情とは関係なく、もっと深いところで相手のことを思ってる(肯定してる)状態だよね。
だから突き詰めれば、相手があの世とこの世のどちらにいようと関係ないってレベルになってくる。
ジョンが絶対に絶望しないと思えるのは、彼ならたとえシャーロックと会えなくなっても、既にこのレベルに達してるだろうと信じられるから。
(この辺の感覚は信仰心に近いものがあるかも。神様っているのかいないのか分からないけど、神父さんは自分の身を信仰に捧げる誓いを立ててる。献身(Devotion)って言うんだけどね。いかにもキリスト教文化圏のドラマって感じかな~)
だからこそシャーロックも、ジョンなら受け止められると確信して、バーツの屋上から身を投げることが出来たんだもんね。

この2人の凄いところは、お互いの絆の強さを意識下で認識し合ってるっぽいところ。
シャーロックはよくジョンに酷いこと言うけど、彼なら受け止められると思ってるからだし(甘えでなく確信。)、ジョンにしてもシャーロックの才能を確信してるから、本人が「いかさまだった」と告白しても信じないし。
ライヘンバッハがただの悲劇で終わらず、再会後の未来を見通すことが出来るのは、この2人の絆があってこそなんだよね。
そして、S3後の2人が、さまざまな状況の変化(ジョンが結婚するなど)でもう221Bで同居出来なくなったとしても、彼らに別れはない。…というのが村の珍獣の解釈。
シャーロックにも、もう本当の意味での孤独は訪れない。唯一アガペの愛だけは、「永遠」と繋がることのできる人間関係だと思ってるから。

だから、海外のファンフィクに多いという、再会後2人の関係が(ジョンがシャーロックを許せなくて)うまく行かなくなってお互いに自暴自棄になったり、心に深い傷を負ったまま離れ離れになるという事態は、この2人には発生しないと信じてます。
2人の絆がただの恋愛関係だったら、あり得る話かも知れないけど。

…てなワケで、このサイトでは2人を今後、ただの恋愛関係に貶めることだけはしないつもりです。
どんな風に発展していくのかは自分でも分からないけど、801にはならない、たぶん。
やっぱり友達以上、ブロマンスあたりかな~?(^^ゞ

「友達」ってな、相手に対する最高の尊称だとおれは思うぜ!
(by アニス・マーフィ/サイファ/成田美名子)