シャーロックとジョン -魂の同伴者-

まさかこんなドラマに出会う日が来ようとゎ!

きっかけはNHKの番宣でした。
シーズン1放映時は残念なことに全く知らず、たまたまシーズン2の番宣見たら映像がスタイリッシュで面白そう。
しかもワトソンが森川さん(ST VOYのトム君の声優さん)ぽいのでアレ?と思い、気になって録画しました。
90分ものとは知らず、夜中の12時を過ぎてから見始めて終わったら2時近かったのですが、続けてもう1回見たくなるほど面白かったのです。
ホームズものについては、子供のころ図書館で借りた少年文庫のやつを何冊か読んだことがあるのと、グラナダTVのジェレミー・ブレット版を何本か見たことがある程度で、シャーロキアンを名乗れるレベルではありません。
しかも、自分の本来ジャンルはSFなので、いわゆるサスペンス系のドラマにここまでハマるとは全く予想外。
実際ガイ・リッチーの映画版「シャーロックホームズ」も見てるし、何でもアリで面白い映画だと思ったけど、ここまでどっぷりハマってないもんで…。
でもS1エピ3本を何度も見るうちに、何となくハマった理由が分かってきたような気がしてます。

このドラマでは、シャーロックとジョンの関係性が、他のどのホームズもの(正典含む)よりも際立ってる気がしてなりません。
それはやっぱり、それぞれの役者さんが若返ってるからかな~。
これまでの自分のイメージでは、ホームズは中年(40代~50代?)のオジサンで、ワトソン博士は髭のおじいさん(50代~60代?)。
まぁダウニーJrとジュード・ロウがそのイメージをとりあえず払拭してはくれましたが、ホームズが中年なのはどうも動かし難いらしい。ジェレミーよりは可愛らしい(?)オジサン像ではありますが、何でワトソンが振り回されつつ離れられないのか、理解に苦しむところがありました。
翻って「シャーロック」はというと、若い俳優さんのおかげで、シャーロックが「永遠の少年」そのものなこと、傍らのジョン・ワトソンが彼のペルソナ(社会的仮面)の役目を果たしてることがはっきりしました。
だからこそ、この二人は離れられないのです。

「永遠の少年」ってばユング心理学でいうところの元型(アーキタイプ)の一つで、純粋無垢な子供のままの心を保ってるため創造的な活動には才能を発揮するけど、現実社会に適応出来なかったり、性的欲求を前提とした異性関係を嫌う傾向があったりと、まさにシャーロックのキャラクター造形そのもの。
(実際引きこもりなどの人を調べると、このタイプが多いらしい)
このアーキタイプは実際には、「ペルソナ」と言われる社会的仮面をかぶらないと、現実社会では生きていくのが難しい。
で、そのペルソナの役割がジョン・ワトソンだと思うわけで…。
実際「シャーロック」では、彼が緩衝剤になることでシャーロックと周囲との軋轢が緩和される場面が何度も出てくる。
ただし、ペルソナはあくまでも仮面(外的側面)だから、単独では存在できない。
シーズン1の最初のエピで、ジョンと視聴者が図らずもそのことに気付かされる場面がある。
犯人が乗ってると思しきタクシーを追って、シャーロックとジョンがロンドンを疾走するあの場面。
あのシーンでみんなの心が躍るのは、ジョンがペルソナの向こうの自分自身に初めて気付く瞬間でもあるからだ。
それはウェイターのアンジェロがジョンの杖を届けに来る場面ではっきりする。
ホントは走れたんだ自分、って驚き戸惑いながら杖を受け取って振り向くとシャーロックの笑顔。
ペルソナの向こうの本来の自分を、ジョンが取り戻した瞬間だ。
シャーロックの観察眼が鋭いのは、曇りや偏りのない純粋な心で見つめるから。
だからジョンがホントは普通に走れるってことも、彼は最初から見抜けた。
日常生活では振り回されて迷惑こうむりながらも、重大な局面になるとジョンが身を挺してシャーロックを守ろうとするのも、ペルソナである自身の本質が、永遠の少年(シャーロック)であることにジョンが気付いてるからで…。
だからこそ、この二人は離れられない。
恋愛や友情など肉体的・感情的レベルよりもずっと深いところ…たぶん無意識の領域で、お互いがお互いのために在るという真実に気付いてる。
まさに二人で一人の完璧な一対であり、魂の同伴者。
シーズン2最終話では、その片割れが突然失われてしまった。(と、少なくとももう一方は思ってる)
魂のいちばん深いところでつながってた二人の絆が突然絶たれたら、人はどうなるのか?
そのあたりのことを、またの機会に書いてみたい。

「シャーロック」は、最も美しい人間関係が描かれてる作品だと思う。
「ブロマンス」という造語まで生まれた世界的な大成功の要因は、きっとそこにある。
こんなドラマに出会えたなんて、ホントに幸せだと思う。
同じ時代に生まれてきてよかったなぁ…。