I Owe You... 07(最終話)

2014年6月22日(日)開催の同人イベントにて頒布した新刊の書き下ろし小説です。
イベント後1か月以上経過したので、こちらにも完結まで順次アップしていきます。



 ジョンが目覚めると、ジョーンズ教授のはち切れんばかりの笑顔に出くわした。
「こんなに上手く運ぶとは思わなかった。一時は心配もしたが、いやぁ良くやってくれたな、ジョン!」
「あの、シャーロックは目を覚ましたんですか?」
「たった今病院から連絡があった。弟が目を覚まし、君に会いたがってるということだ。」
 ジョンはギクリとして、この期に及んで無表情なマイクロフトの顔を見返した。
「…会いたいって何で…。」
「恩人に礼を言いたいんじゃないか? 弟らしくもないが。」
「確かに。どうせもっと早く来れなかったのかとか何とか、文句言われるのが関の山でしょうけど。」
「弟をよく分かってるじゃないか、ジョン。」
「そりゃ僕だってバカじゃない。」
「それでジョン。会いに行くのか行かないのか、どっちなんだね?」

「ジョン!」
 ほぼ2週間振りのシャーロックは髪もヒゲも伸び放題だったが、ベッドから身を起こしての読書中で、ジョンが病室に入ると口角を上げる例の笑顔で迎えてくれた。
「お帰りシャーロック。ずい分久し振りだな。」
「ふん。ドクターの話だと、君と僕は丸2日間同じ夢を共有してたそうだから…久し振りという実感が湧かないわけだ。」
「…そうか。僕は10日以上、君のいない221Bで過ごしたから…。淋しかったな、ちょっとだけだけど。」
「それで助けに来てくれたわけか。君も相変わらず…。」
「…何言ってる、自分のためじゃないぞ!」
「当然だ、君の性格は知っている。火中の栗に手を出す間抜けは、最近では珍しいからな。」
「…わかったよ! どうせ僕は…っ!」
 やはり彼は、何も覚えていないのだ…。不覚にも目に涙が滲み、ジョンは大股でさっき入って来た扉に向かう。
「ジョン。君は…」
「…何だよ、シャーロック!」
 声をかけられて仕方なく、ジョンは再びシャーロックに向き直る。
「ふだん神様とよく口にしてるが、聖書をちゃんと読んだことはあるか?」
「聖書? いきなり何だ。もちろん読んだことはある、主に学生の頃だけど…。」
「第一コリント13章12節。」
「…って何だっけ?」
「ここだ、読め。」
 シャーロックは自分が読んでいた本を無理やりジョンに押し付け、自分はゆっくりと枕に頭を沈める。ジョンは仕方なくベッドの端に腰かけると、示された箇所に目を落とした。

『わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。
わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。…』
(コリント人への第一の手紙 第13章12節)

 ジョンは何度も、頭の中で目の前の聖句を反芻した。

「…読んだか。どう思う?」
「どうって言われても…何て言えばいいのか…。」
「書いてある通りだ、ジョン。無意識は、無意識だからこそ存在意義がある。無理やり意識に上らせる必要はないんだ、時が来るまでは。」
 気が付くと、シャーロックがかつてないほど真剣な眼差しを自分に向けている。
「…幸運なことに、僕はあの夢を全部覚えてる。そして実を言えば僕の方こそ君を…。バーツのラボで初めて出会って、いきなり同居を決めた本当の理由は…実はそういうことだった…。」
「だ、だけど僕は…君と同じ地平には立ててない…。君から見たらただの間抜けじゃなかったのか?」
「…だから不思議なんだ、ジョン。君は本当に…不思議な男だよ。」
 低く優しいその声が、言外の彼の思いを物語っている。
 ジョンの手から聖書が滑り落ち、床にバサリと転がった。その反り返った表紙の上に、涙の滴がいくつもしたたり落ちる。

…ジョン。もう泣かなくていい。
…怖かったんだ、シャーロック。僕らが僕らでなくなってしまうのが…。
…別にいいんじゃないか?僕らはずっとこのままさ。いつか全ての真実が、明るみになる朝が来るまでは…。

 ジョンが待合室に戻ると、どこを見つめているのかさえ分からないほど無表情なマイクロフトの横顔が、彼を出迎えた。


【終わり】