I Owe You... 03

2014年6月22日(日)開催の同人イベントにて頒布した新刊の書き下ろし小説です。
イベント後1か月以上経過したので、こちらにも完結まで順次アップしていきます。



 マイクロフトと共にカウンターでチェックインを済ませ、搭乗ゲートをくぐると奥にいた人影がこちらに手を振っている。
「お待たせしたようだね、ウィル。」
「いやいや大丈夫。出発までまだ30分以上はあるよ。それで、そちらが弟さんのご友人かな?」
「その通り、彼がジョン・ワトソン君だ。ジョン、彼がウィリアム・ジョーンズ教授だよ。」
 銀縁メガネに銀灰色の髪と口髭が特徴の、穏やかで人の好さそうな笑顔が、ジョンの中の超心理学者のイメージを一変させた。
「初めまして、教授。」
「どうかウィルと呼んでくれ。君のことはジョンでいいかな?」
「もちろんですよ、ウィル。」
「ところでマイクロフト、彼にはどこまで話したのかね?」
「実を言うと肝心なことはまだ何も知らせていないんだ。ロンドンでは人目が多すぎるのでね…。」
「…肝心なことって? あれ以外にまだ何かあるんですか?」
「悪いがジョン、詳しいことは現地に着いてからだ。空港も飛行機内も、決して安全ではないのでね。」
 その言葉通り、マイクロフトとジョーンズの2人は機内でも当たり障りのない昔話に終始し、ジョンはといえばひたすら、このところの睡眠不足解消に努めることになった。ジェットエンジンの爆音もものともしないその寝顔を、ジョーンズ教授が興味深そうに眺めていたことにも、ジョンは全く気付いていなかった。


「…ジョン、僕は…。」
 シャーロックの声で我に返ったジョンは、自分が221Bの2階リビングで、ダイニングテーブルについていることに気付いた。向かいに座るシャーロックが何か話している。
「ジョン。僕はもう、君と会えなくなった。アイリーンに求婚されたが、君と会わないことが条件の一つなんだ。」
 ジョンは鳩が豆鉄砲を食った顔でシャーロックを見た。
「…それでまさか、承諾したって言うのか?」
 シャーロックはジョンの顔がまともに見られない様子で、無理やり窓の外に顔を向けている。
「仕方ないだろ。今アイリーンと別れたら、僕はどうなってしまうか分からない…。」
 ジョンが深く頷いて賛意を示す。
「その気持ちは、よ~く分かるよシャーロック。僕も何度味わわされたことか。でも僕だって君の彼氏ってわけじゃない。ただの友達だし、何でこれまで通りじゃいけないのか、アイリーンにちゃんと聞いた方がいい。」
「もちろん聞いた。彼女は僕に証明してほしいらしいんだ、僕が本気だってことを…。」
「愛してるって、言えばいいんじゃないのか?」
「言葉だけじゃ、満足してくれない。」
「僕なら、求婚に条件付けてくるような女性は考えるかな。まぁ、条件にもよるけど。」
「僕は君とは違う!」
「…シャーロック?」
 相変わらず自分とは目を合わせようとしないシャーロックが、ダイニングテーブルに向かって叫んでいた。
「僕は彼女以外の女性を知らないし…第一ソシオパスだぞ。アイリーン以上の女性に、巡り合えるチャンスがあるとは思っていない。」
 今度はジョンが、そんなシャーロックから眼を逸らす番だった。
「…君がそこまで言うなら…仕方ないな。僕がここを出て行けばいいんだろ?」
「済まない、ジョン、こんな形で…。」
「分かってる。もう言うな。僕も求婚されてるって言っとけよ。彼女と暮らすことになったからって。それなら問題ないんじゃないか?」
 シャーロックは答えない。ジョンは仕方なく立ち上がり、荷造りするために自室へ引き上げようとした。
「…ジョン、僕は…。」
 リビングの扉が閉まる直前、シャーロックが何か言いかけて立ち上がったが、ジョンは無視して扉を閉じる。そのまま扉に背中を預け、溜息と共に天上を見上げた。頬を伝う涙に気付いたのはその時だった。
 何で僕が泣いてる? 振られたわけでもないのに…。
 遠くで誰かが、僕を呼んでいた…。


「…ジョン!」
「ドクター・ワトソン!」
 男二人に激しく揺り起こされ、驚いたジョンが目を開くと、彼らはまだ飛行機に乗っていた。
「…マイクロフト、ジョーンズ教授?」
「シャーロックが君にメッセージを送っていると、彼から聞いていたのに…。もっと用心するべきだったな。」
「とにかくよかった、戻ってくれて。」
 普段は皮肉屋のマイクロフトが、大袈裟に息を吐いている。
「また夢を見ていたようだなジョン。何か思い出せることはあるかな?」
 涙の跡を袖で拭いながら、ジョンは頭を振る。
「思い出せるもなにも、シャーロックが僕に出て行けって。」
「…何だと?」
「何でもアイリーンに求婚されて、僕と会わないことが条件なんだとか。」
 教授が明らかに落胆した様子で、額に手を当てている。
「やはり先手を取られたか。直接会えないとなると面倒なことになる…。」
「ちょっと待って下さい。直接会うも何も、夢の中の話でしょ? 僕にどうしろと?」
「ホテルに着いたら全て話すよ、ジョン。」
 マイクロフトがそう言った直後、間もなくブタペストのアンリ・コアンダ国際空港に到着する旨の機内アナウンスが耳に届き、3人はそわそわとシートベルトに手を回した。


【続く】