I Owe You... 04

2014年6月22日(日)開催の同人イベントにて頒布した新刊の書き下ろし小説です。
イベント後1か月以上経過したので、こちらにも完結まで順次アップしていきます。



 結局、ジョンが二人から詳しい経緯を聞けるようになったのは、ルーマニアの首都ブタペストの空港から列車に揺られて数時間、ティミショアラという田舎町のホテルに辿り着いてからの事だった。既に夕闇が迫りつつあるホテルのラウンジで、3人の男が鼻を突き合わせ、冷め切ったコーヒーをすすりながら声を潜めて話し込んでいる。
「…シャーロックが目を覚まさないのは、あなた方が開発した試薬を投与されたモリアティーの夢に捕えられてるからだ…ってとこまでは、マイクロフトから聞いてます。だけど教授、とっくに亡くなってる人間にそんなことが可能なんですか? 僕にはどうも分からないんですが…。」
「もちろん我々にも、こんな事が起こるとは予測出来なかった。だがあの試薬は、投与された人間の無意識領域を、意識に上らせてしまう効果があったようなんだ。夢をコントロールするというのは、つまりはそういうことだろうからね。」
「…明晰夢という言葉を聞いたことはあるかね、ジョン?」
「夢だと分かってて見てる夢、という意味でなら聞いたことはあるし、僕も何度か見たことがあるような…。たいていは悪夢だったと思うけど。」
「素晴らしい。つまりモリアティーの残留思念が、明晰夢の状態で弟の無意識領域を取り込み、コントロールしている状況らしいんだよ。」
「それじゃシャーロックは、自分が眠ってるとは気付いてないかも知れないんですね?」
「その可能性は非常に高い。夢だと気付けば、目覚めることが出来るはずだからね。」
 ジョーンズ教授が穏やかに付け加える。それを聞いたジョンはテーブルに両肘をつき、頭を抱え込んだ。
「…だったら彼を目覚めさせる方法なんて、ないってことじゃないですか!」
「どうかなジョン。私はまだ、希望があると思っているよ。」
「そうだなマイクロフト。弟さんは、無意識のずっと深いところでは何かに気付いている可能性がある。」
「だからこそ、君にメッセージを送ったのだ。」
「…僕もそうだと信じたい。でも奴の罠だったらどうします?」
「もちろんその可能性も大いにあるな、ジョン。相棒である君も取り込んでしまえば、支配は完璧だ。」
「だが、それを逆手に取る方法もある。」
 ジョーンズ教授の穏やかだが力強い一言が、ジョンの頭を上げさせた。
「…どうやって?」
「今夜から、君にも明晰夢を見てもらう。シャーロックを救えるのはジョン、君一人だ。」
 ジョンは一瞬驚き、開いた口が塞がらない様子だったが、その後明らかに狼狽して後頭部をかきむしる。
「…ちょっと待って下さい! 確かに明晰夢を見たことあると言ったけど、夢だと気付いたのは偶然なんで…。僕にどうやって明晰夢を見ろって言うんです?」
「簡単な方法があるよ、ジョン。テディ・ベアだ。」
「僕にヌイグルミと一緒に眠れって?」
「まあまあマイクロフト。ヌイグルミと決めなくたっていいんだよ。ただ、子供たちが悪夢を怖がって眠りたがらない時、有効な方法なのも確かだ。つまり現実世界とつなげることで、一種の明晰夢を見せるわけで、それなら本人が流れをコントロール出来るからね。」
「お守りがいるんだよジョン。一目見れば夢だと気付ける何かを決めて、傍に置いておく必要がある。」
「それなら、僕のお守りは一つしかない。残念ながらロンドンの空港で取られちゃいましたけど…。」
 マイクロフトが背中でも痒いのか、片手を後ろに回してゴソゴソやっている。かと思うと目の前のテーブルに突然、見慣れたシグ・ザウェルが出現した。
「…全くあなたって人は。今回の役目、僕なんかよりずっと相応しいと思えて来ましたよ。」
「残念ながら、私では弟の懐にまでは入れない。拒絶されてしまうだろう。悲しいことだがそれが現実なのでね。」


 その後、外で夕食を済ませた3人がホテルに戻ると、部屋には物々しい医療機器が数台届けられていて、ジョンはまたもや天井を見上げ嘆息する羽目になった。
「僕はてっきり、3人で病院に乗り込むのかと…。」
「それが出来れば一番よかったが…。奴に先手を打たれた以上、現実世界で乗り込んだら気付かれる恐れがある。まぁ、夢の世界に入ってしまえば現実的な距離など関係ないし、幸いホテルからも全面協力を約束されているから、まず問題はないだろう。」
「ええと、脳波やなんかをモニターする必要があるってのは分かるけど、こっちはどう見ても人工心肺装置だし…。こんなものまで必要なんですか?」
 マイクロフトの表情を見ると、明らかに触れられたくない質問だったようで、ジョンはいっとき溜飲を下げる思いだった。
「…君も医者なら、その質問は当然だなジョン。我々の試薬によってモリアティーの残留思念は増幅されているはずだから…もし君が夢の世界で殺されかければ、現実の君も命の危険に晒されるということなんだ。」
「本当に呪い殺されるかもって話なんだ…。」
 緊張のため表情が強張り、盛んに唇を舐め始めたジョンに、教授がそっと近づく。
「ジョン、一つだけ聞いてくれ。君がこれから行くのは君の夢の世界だ。であれば本来、コントロール出来るのは君だけだし、どんな奇蹟も起こせるはずなんだ。どうかそれを忘れないでほしい。」
 見るからに不吉な人工心肺装置に視線を当てたまま、ジョンが決然と頷く。マイクロフトから手渡されたシグをパジャマの胸ポケットに突っ込み、ベッドにひょいと腰を乗せるとそのまま仰向けに身体を伸ばした。
「我々はもう一つのベッドルームでモニターしている。何かあったらすぐに駆けつけるから。」
「いい夢をな、ジョン。」
 照明が落とされると、早朝からの移動で疲れ切っていたジョンはすぐに寝息を立てはじめる。静寂の中、脳波モニター画面の赤い光点だけが、ゆっくりと点滅を繰り返していた。


【続く】