I Owe You... 02

2014年6月22日(日)開催の同人イベントにて頒布した新刊の書き下ろし小説です。
イベント後1か月以上経過したので、こちらにも完結まで順次アップしていきます。



 シャーロックのいない221Bで再び寝起きする羽目になったジョンは、やはりよく眠れていなかった。
 日中は仕事やヤードに出向いての情報収集などで気も紛れるが、真夜中近くに疲れ切ってフラットに辿り着き、同居人のいない現実を思い知らされながらシャワーを浴びても、いっこうに疲れが取れる気配はない。その日もシャワーの後、なおも重い身体で無理やり階段を登り、何とか寝室のドアを開けると、ベッドに倒れ込んだ。それほどに疲れていても、眠りが訪れる気配は全くなく、ジョンは何度も寝返りを繰り返して朝を待つ。
 全く誰のせいだと思ってるんだ、シャーロック…。

 ―ジョォォン!

 その瞬間、ジョンはハッとして跳ね起きる。
 聞こえたのはシャーロックの声だ。それは絶対に間違いない。だがどこから…。ジョンは頭を巡らせた。そういえば今ほんの一瞬、眠りに落ちていたのではなかったか…。失望して深々と、ジョンは溜息をつく。
 また夢を見ただけだ。
 このところ、浅い眠りに落ちるたびにシャーロックが自分を呼ぶ声で飛び起きるパターンを繰り返している。彼を見つけられない自分自身への苛立ちからくる現象だろう。ジョンはそう解釈していた。
 その夜までは。

 明け方近い時間帯だと言うのに、階下で突然ドアホンが鳴り、ジョンは慌てて、1段飛ばしで階段を駆け降りる。予測通り、玄関ドアの向こうにいたのは憔悴し切ったシャーロックの兄、マイクロフト・ホームズだ。
「早かったな、ジョン。たった今押したところだが。…そうか、君も眠れていないのだな、当然だが。」
「まさかいい知らせなんでしょうね、マイクロフト。」
 狭い階段を登り、二人してそれぞれの場所に落ち着いたところでジョンが切り出す。
「もちろん。少なくとも最悪レベルではない。弟の消息だが、トランシルべニア地方の病院に収容されていることが分かった。幸い生命にかかわる状態ではないそうだ。」
 それを聞くと、ジョンは一気に体の力が抜けた。
「それなら何で、今まで何の連絡もよこさないんだ! 全くあんたたち兄弟ときたら…!」
「ジョン。弟は10日前、丸2日食事にも出てこない客を不審に思った従業員のお蔭で、ホテルのベッドで昏睡状態のまま発見されたのだ。覚醒させるべくあらゆる努力が払われたが、その後一度も意識を回復していない。」
「なっ…。昏睡状態って…また誰かに薬物を?」
 ジョンの脳裏に、シャーロックが出かける当日朝に見た夢の、アイリーン・アドラーの表情が甦る。だがマイクロフトは首を横に振っていた。
「薬物ならまだよかった。成分が抜けさえすれば元通りだ。だが10日も意識が戻らないとなると…もはや別の事態が起こっていると考えなければならない。」
「…別の事態って?」
「ジョン、君は弟が出かける当日の朝、夢見が悪かったと言っていたはずだが…。その時の夢を覚えているかね?」
 相変わらずの監視に、ジョンは抗議の意味で天上を仰ぐ。
「忘れるはずがありませんよ。アイリーンとラブラブ状態で…あんなシャーロック見たことなかった。それにアイリーンが…。目覚める直前、彼女の顔がモリアティーに変わったんです。不気味すぎて、自分の夢と思えないくらいでした。」
 言い終えたジョンが天井から眼を戻すと、マイクロフトが秀でた額に手を当てていた。
「最近はどうだ? 眠れていないようだが、夢を見た覚えはあるかな?」
「今から思えば夢だったんでしょうけど…浅い眠りに入るたびに、シャーロックが僕を呼ぶ声がして飛び起きてます。」
「…何てことだ。弟は私でなく、君にメッセージを送っていたのか…。」
「メッセージ? ただの夢でしょ。シャーロックの失踪と何の関係が…。」
「悪いがジョン、今はこれ以上は話せない。すぐに旅支度を整えてくれないか。国外へ出るからパスポートも忘れずにな。」
「国外ってまさか…あなたと一緒に、僕もトランシルベニアへ?」
「…ずい分と察しがよくなったものだな、ジョン。弟のお蔭かな?」
 そう言いながら口の端をひん曲げて笑顔を作るマイクロフトの横で、ジョンは大袈裟に息を吐いた。

「さっきは済まなかったね、ジョン。」
 空港に向かうため迎えの車に乗り込むと、マイクロフトがすぐに口を開く。
「あまり時間もないのでかいつまんでの説明になるが…その昔…主に米国や当時のソビエトなどでだが、いわゆるESP、超心理学の研究が盛んに行われ、一時は超能力兵士を戦場に送り込む計画まで考えられていた時代があることを知っているかね、ジョン?」
「…まぁ、噂に聞く程度なら。」
「それで十分だ。もちろん現在に至るまで、ESPと称される現象や超能力が実在する証拠の発表がされたことが一度もない以上、ほとんどの研究分野が打ち捨てられ、似非科学として片付けられて終わっているが…我々も一つだけ、当時からの研究が継続され、試薬の開発にまで至った分野を持っているんだよ。」
「試薬ですって? 穏やかじゃないな。何に対する研究なんです? 念動力とか、瞬間移動とか?」
 マイクロフトは一呼吸置き、しばし高速で流れ去る窓外の街並みを眺めていたが、ついに視線を戻す。
「…夢に関する研究だ。」
「夢って…まさか、相手に悪夢を見せて呪い殺すとか?」
「当たらずとも遠からずだな。」
「ご冗談を。」
「…いいや、ジョン。夢は人間の脳の広大な無意識領域が発生源だと言われているだろう。夢で見たアイディアを生かし、成功した発明家が何人いるか知っているかね?」
「それはまぁ…。」
「ならば、夢の内容をコントロール出来さえすれば、内側からその人間を変えることが出来るはずだ。我々はそう考え、最近開発された試薬をある人物に投与した。」
 ジョンの顔色が一変する。
「…あんたはまさか身内を実験台に…シャーロックに飲ませたのか!」
 その権幕にも動ずることなく、マイクロフトが困った奴だと言うように首を左右に振っている。
「ジョン、私だって木の股から生まれたわけじゃない。試薬を飲ませたのはジム・モリアティーにだ。一時我々が捕えた時にね。コントロール出来るはずだったんだが、彼があんなに早く死を選ぶとは計算外だった。そのために弟が、彼の夢に捕えられる結果となったのだろう。」
「…夢に…捕えられる? シャーロックが昏睡から覚めないのは、死んだ人間にずっと夢を見せられてるからだって言うんですか?」
「正確には、死んだ人間の残留思念に、だ。…というのが我々と共に試薬を開発した専門家の意見でね。」
「専門家って誰です?」
「超心理学者のジョーンズ教授。もうすぐ会えるよ、ジョン。」


【続く】