我們一起走過的日子 -僕らが共に過ごした日々03-

同じく【僕らの間にある永遠】シリーズ番外パラレルです。しかも「将来有一天」後日談(7年後!)ですので先ずはそちらからお読み下さい。
他、モブキャラが出張っていますので苦手な方は閲覧ご注意下さいマセ。



「シャーロック、大家さんってどういう方なんですか?」
 同居4日目の朝、食後の珈琲を飲みながらジェフリーが訪ねる。シャーロックはといえば、カップの中の液体をスプーンで掻き回し、落とした砂糖を確実に溶かしてから顔を上げた。
「僕も詳しい人となりは知らないが…前任者ハドソン夫人の、又従兄弟の息子だそうだ。」
「かなり遠いご親戚なんですね。」
「そうらしい。夫人に聞いた話では、30過ぎても定職に就かずブラブラしてたから声をかけたそうだ。」
「どうりでまだお若いと思いましたよ。日中ほとんど出かけられないみたいだけど、他に仕事はされてないんでしょうか?」
「聞いた話じゃ、売れない絵描きだそうだ。彼の代になって4年経つが、絵が売れたって話は一度も聞いてないな。そう言えばミスタ?マクニール、一昨日だったかジェレミーの姿を見て驚いてたみたいだが何かあったのか?」
 シャーロックがそう尋ねると、何故かジェフリーはキツネにつままれたような顔をした。
「一昨日って…あなたに買い物頼まれた日でしたっけ?」
「そう。君がセルフレジと喧嘩した日だ。」
「大家さんとお会いしましたっけ?」
「…覚えていないのか? 大汗かいて、かなりビビってるように見えたぞ。」
「あなたからカードを借りて、無事買い物出来たのは覚えてるんですが…。」
 シャーロックは一瞬眉根を寄せたが、甘ったるい珈琲を一口飲むと何気ない風を装ってこう言った。
「まぁいいさ。些細なことだし、そのうち思い出すだろう。ところでミスタ?マクニール、差し支えなければだが、ご両親が亡くなった事故について詳しく聞きたいんだが…?」
 ジェフリーはその質問を覚悟していた様子で、ゆっくりと珈琲を飲み干すと、静かにカップを置いて切り出した。
「…忘れもしません。あれは7年前、僕が18になった年でした。」
「ちょっと待った。それじゃ君は、今年25になるのかミスタ?マクニール!」
「ええ、おっしゃる通りですがそれが何か?」
「見た目からすると二十歳そこそこかと…いや、腰を折って済まない、先を続けてくれ。」
 ジェフリーはひとつ頷いて、再び語り出す。
「…忘れもしない、7年前のクリスマスイブでした…。前夜に大雪が降った朝だったけど、仕事で日本に赴任することになった従姉妹が出発する日なので、空港に見送りに行くことになってました。父の運転で早目に出たんだけど、結局父が焦ってたんだと思います。気が付くとかなりスピードが出ていて…カーブで雪にタイヤを取られ、数メートル下の川に車ごと転落したんです。目が覚めたら病院のベッドの上で…両親が亡くなったことを知らされました。」
「なんて事だ、君もご両親と一緒だったのか…。真冬の川に落ちて、君だけでも生還出来たのが不幸中の幸いだったな。」
「…僕自身も、今となっては同感です。そう思えない時もあったけど…。でも…今生還っておっしゃいましたけど、実は一度、死亡宣告されるところだったそうで…。」
「ほう。何だか他人事みたいな言い方だな、ミスタ・マクニール。」
「すみません、僕本人はずっと意識不明だったから何も覚えてなくて、みんな看護婦さんとかドクターが教えてくれた話なもので…。とにかく、川に落ちた時の衝撃で僕は胸を強打してて、心臓が破裂寸前の状態だったそうです。移植をすれば助かるってタイミングで、海外で脳死状態になった提供者がいるって連絡が来て、すぐにドクターが動いて下さったんです。」
「何と、君は心臓移植を受けて助かったのか!」
「その通りです、シャーロック。あのタイミングで連絡が来なければ、僕は今ここにいられません。」
 シャーロックの表情が微妙な変化を見せ始めていた。
「ちょっと待ってくれ、事故に遭ったのは7年前のクリスマスイブだと言ったな?」
「間違いありません。病院に運ばれたのは夕方ごろだったから、移植手術を受けたのは25日が明けてからだったそうですが。」
「海外で脳死状態になったというのは英国人?」
「…だと聞いてます。それ以上は、ルールがあって教えてもらえなかったですが…。」

 …刹那と永遠は同じことだよシャーロック…
 …まさかジョン…ジョンなのか?
 ダイニングテーブルの向こうから、彼の眼にはフラクタルの深淵としか映らない、かつての友の不可思議な瞳が見返していることに、シャーロックは突然気付かされ、衝撃波に打たれたように身を震わせる。

「…シャーロック、大丈夫ですか? 何か気になることでも?」
「えっ?…いや、何でもない。何度も中断させて済まない、先を続けてくれミスタ・マクニール。」
 平静を保つのにかなりの努力が必要だったが、ジェフリーは何も気づかぬ様子で、ただ困ったように肩をすくめる。
「もうほとんどお話出来ることは…あっ、最後に1つだけ。ドクターがいち早く動いて下さったのには理由があるんです。レスキュー隊員が車から引き揚げた時、母はまだ息があって…息子を助けてって、うわごとみたいに繰り返していたそうなんです。その話がドクターに伝わって、すぐに移植コーディネーターと連絡取って下さったって聞いてます。そのおかげで、母の願いを叶えなきゃって思えるようになったようなもので…。」
「…なるほど。なかなか感動的だったよミスタ・マクニール。君の母上は、母親としては真っ当だったのだろう。このご時世、ある意味とても幸運なことだ。辛い記憶を思い出させて申し訳なかったが、僕にとってとても有意義な時間だった。」
 シャーロックはそれだけ言うと、自ら先に立って空になったマグカップを運ぶためキッチンに消えた。ジェフリーも後を追うつもりだったが、何かが彼を押しとどめ、結局ダイニングテーブルからシャーロックを観察する羽目になった。だが彼は、マグカップをシンクに転がしただけでそそくさとキッチンを出て寝室に引っ込んでしまう。数分後に出て来た時にはいつものダークスーツ姿で、ジェフリーには何も告げずにそのまま階段を降りて行き、階下でドアの閉まる音だけが響いた。

 僕の事故のことを知った後でも…とジェフリーは嘆息する。
 彼にとって自分はまだ、ミスタ・マクニールなんだ…。
 焦るなって、ジェフリー。
 心の中の声が応える。
 彼ほど天邪鬼で、扱いにくい男はいない。もう少し時間をやってくれ。
 それは構わないけど…あなたは誰だ? どうしてそんなことまで分かるんだ?
 同じころ、階下のカフェではシャーロックに呼び出されたマイク・スタンフォードが、珍しく彼のおごりだというカフェオレのマグカップを手にご満悦だった。
「改まって僕に頼みって、何だいシャーロック?」
「調べてほしいことがある。7年前のミスタ・マクニールの事故についてだ。」
「おいおいシャーロック。彼から話を聞いたのなら分かってるだろうけど、あれはただの事故だ。事件性は全くないよ。」
「もちろん分かってるさ。ポイントはそこじゃない。彼の心臓移植の経緯を、なるべく詳しく知りたいんだ。」
 心臓移植という単語を聞いた途端、マイクの表情が曇った。
「カフェオレの恩を仇で返したくはないけど、臓器移植は極めてデリケートな問題だ。移植を受けた本人にさえ情報が伏せられるくらいだから、役に立てるかどうかわからないよ。」
「それでいい。マイク、君の人脈で聞ける範囲のことでいいんだ。」
「分かった。調べるだけでもやってみるよ。ところで何だってまたそんなことに興味なんて持ったんだシャーロック? まさかジェフリーが何かやらかしたんじゃ…。」
 すでに立ち上がりかけていたシャーロックだが、再び座り直すと苦笑いしながら首を横に振る。
「大丈夫だマイク。これは僕の純粋に個人的な興味に過ぎない。ミスタ・マクニールとは何の関係もないから安心しろ。」
「…ミスタ・マクニールか。彼とはうまくやってるんだろうな?」
 今度こそシャーロックは立ち上がり、大股で出入り口の扉に向かいながら答える。
「さぁなマイク。心配なら確かめにでも来ればいい。」
 シャーロックの姿が扉の向こうに消えると、マイクは深々と溜息を吐く。
 ジョンとの時は、あんな答えじゃなかった。面白い人物を紹介してくれて感謝してると、彼は言ったのだ。あれからもう10年以上もの歳月が流れたことに、マイクは軽い眩暈を覚えた。


【続く】