我們一起走過的日子 -僕らが共に過ごした日々02-

同じく【僕らの間にある永遠】シリーズ番外パラレルです。しかも「将来有一天」後日談(7年後!)ですので先ずはそちらからお読み下さい。
他、モブキャラが出張っていますので苦手な方は閲覧ご注意下さいマセ。



 シャーロックは何年振りかで、馥郁たる珈琲の香りで目が覚めた。
 思わず深呼吸を一つして、寝室を出てキッチンを覗くと、真ん丸な後頭部が右に左に甲斐甲斐しく動いている。
 抑え難い既視感と戦いながら、飲み物を取ろうとキッチンに入り、冷蔵庫を開くととたんに真ん丸な後頭部の動きが止まる。
「あっ、おはようございますシャーロック!」
「…おはよう、ミスタ?マクニール。」
 朝からこのテンションだけは別物だがな…。シャーロックが心の中でそう呟き、思わず漏らした苦笑いをジェフリーが誤解したとしても仕方ないことだ。
「済みません! 朝食、ベーコンエッグではやっぱり重過ぎますよね。明日からトーフを買って来ますから…。」
「誰がトーフなんぞ食べたいと言った!」
「…えっ、でも今…。」
「いいからとっとと運べミスタ?マクニール!」
 リビングでシャーロックの向かいに座らされたジェフリーは、何とも気まずい朝食になってしまったと思いながらもそもそと口を動かす。シャーロックの方はと言えば、フライドエッグをあっという間にたいらげると上機嫌で顔を上げた。
「この卵の焼き加減はなかなかいいな、ミスタ?マクニール。白身の焦げはクリスピーだし、黄身は流れ出さないが柔らかい。ジョンが以前、シンプルな卵料理にこそ料理の深淵があると話していたことがあったが…。」
 とたんにジェフリーが眼を輝かせる。
「ドクター?ワトソンがそんなことを? それならきっと…。」
 突然、シャーロックが音を立てて席を立った。ジェフリーの顔色も一変する。
「済みませんシャーロック! 彼の話はするなって、マイクからも言われてたのに…。」
「謝るなミスタ?マクニール! 始めたのはこの僕だ。君が詫びる必要はない。全く何て馬鹿なんだ、自分で墓穴を掘るなんて…。」
 そのまま寝室に引き上げそうな勢いのシャーロックに、ジェフリーが気遣わしげに声をかける。
「…僕にも分かります。両親を亡くした時がそうだった…。突然の事故だったから受け入れられなくて、長いこと考えることすら避けてたんです。でも…生意気なようですが墓穴とは限りません。僕も聞いてもらえる友達が傍にいたから、楽になったようなものなので…。」
「ご高説かたじけないがね、ミスタ?マクニール。僕は楽になんかなりたいと思っていない。彼を忘れて別の誰かと楽しく暮らせるとも思わない。悪いがそういうことなんだ。君に2週間の猶予を与えたのも、ジェレミーやマイクにうるさく言われたくなかったという理由だけだ。分かったらその口を閉じて、僕を放って置いてくれないか?」
 シャーロックはそれだけ言うと、卵以外には手もつけていない皿を残して寝室に消えた。

 ジェフリーは仕方なく、自分の食べ終わった皿と一緒にサラダだけ残った皿もキッチンに運びながら、思わずもれた長いため息に苦笑する。
 おい、ジェフリー。シャーロック相手にため息なんて十年早いんじゃないか?
 それもそうだと思い直し、ふと自分が今話した心の声は誰だったんだろうと訝った。

 どこか近くで扉の閉じられる音を聞き、ジェフリーが頼んでおいた買い物に出たと判断したシャーロックは、そそくさとリビングに戻る。テーブルの上のPCを開き電源を入れたところで、人の気配にぎくりとして顔を上げた。
「何度言わせる気だジェレミー、ノックぐらいしてくれ。心臓に悪い…」
 大家のジェレミーがリビングの開いた扉に寄りかかっている。
「大袈裟だなぁ。大家なんだからかまわんだろ。そんなに嫌なら、ちゃんと扉を閉めればいい。」
「そんな問題とは違う。君が誰に似てるか、前にも話しただろ?」
「ああ。君に言われて調べてみたよ。確かに顔はよく似てるが、身長は僕の方が高いし、声だって全然違うぞ。」
「別人なんだから当然だ。だが顔はアイコンみたいなものだから…。うっかりクリック状態になって、僕のPTSDに迷惑するのは君の方だと思うけどね。」
「相手がジム?モリアティーじゃ仕方ないか。今度から気を付けるとしよう。」
 そう言いながら背後に人の気配を感じたジェレミーが振り向くと、階段を登り切ったジェフリーが直立不動の姿勢で固まっている。
「やあ、ジェフリー。」
「お…大家さん、こんにちは。」
「どうした、大汗かいてるな。何をそんなにビビってるんだ?」
「いえ…まさかいらっしゃると思わなくてびっくりして…。」
「全く。シャーロックといい、ここの住人は大家を幽霊扱いするんだからな。」
「買い物にしては早かったな、ミスタ・マクニール。」
 手ぶらのまま入って来た姿が目に留まると、シャーロックがまず言った。
「済みません、買えなかったんです。僕のカードは使えないみたいで…。」
 シャーロックが一瞬、遠くを見るように目線を漂わせ、その表情のまま眉根を寄せる。
「まさか、セルフレジと喧嘩なんかしてないよな?」
「いえ、まさか。僕が一方的に怒鳴りつけただけで、喧嘩とまでは…。」
 珍しく、シャーロックの反応にしばしの間があった。
「僕のカードを使うといい。」
 言いながら、上着の内ポケットから財布を取り出す。
「済みません…。」
「詫びはいい。買い物を頼んだのは僕だ。」
「あ、ありがとうございます!」
 大家とシャーロックに穴のあくほど見つめられている状況に気付いたジェフリーがそそくさと出て行ってしまうと、ジェレミーがゆっくりと室内に入って来た。
「彼がセルフレジと喧嘩したって、どうして分かった?」
「…ただの勘だ。」
 ジェレミーが微笑む。
「君の推理には常に根拠があるはずだろ?」
「…だったら、今のは推理じゃない。」
「驚いたな、本当に勘なのか?」
「経験から学んだと言っておこう。それで、今日は何の用なんだジェレミー?」
「今月分の家賃だが、今朝全額が振り込まれてた。君の口座からじゃない。半額支払うつもりなら、直接ジェフリーに渡してやってくれ。」
 PC画面を見つめていたシャーロックが、小さな溜息をもらす。
「どうりでカードが使えなかったはずだ。全くあの坊やは…。」
「…どうして名前で呼んでやらない?」
「いきなり何だ、ジェレミー。」
「分かってるだろ。彼が君の前でいつもビビってるのはそのせいだ。君は一体、何を恐れてるんだシャーロック?」
 シャーロックは一瞬瞑目し、再び開いたその瞳はPC画面のずっと奥の、彼方を見つめているようだった。
「そんなことを君が知る必要はない。それにさっきは、君の姿を見てビビってるように見えたけどね。」
「まぁ、そういうことにしておくか。」
 そう言い残してジェレミーが去ってしまうと、シャーロックはテーブルを離れ、ゆっくりと窓際に歩み寄る。
 どうして名前で呼ばないのかって?
 彼の存在が、かつての友の不在をこれほど際立たせることになるとは思ってもいなかったからさ。そして、こうなることを予測出来なかった自分自身に腹が立ってるからだ。
 階下でドアの閉まる音がして、シャーロックは仕方なく、荷物を運んでやるために階段を降りて行った。


【続く】