我們一起走過的日子 -僕らが共に過ごした日々04-

同じく【僕らの間にある永遠】シリーズ番外パラレルです。しかも「将来有一天」後日談(7年後!)ですので先ずはそちらからお読み下さい。
他、モブキャラが出張っていますので苦手な方は閲覧ご注意下さいマセ。



 同居6日目の夕刻、ディモック警部に呼び出されたシャーロックが現場で遺体に屈み込んだ直後、彼の携帯が鳴った。無視して捜査を続けたかったが、傍らのディモックに促され仕方なく受信ボタンを押す。とたんに恐慌状態のジェレミーの声が耳を打った。
「頼むシャーロック、すぐ戻ってくれ!」
「…仕事中だ。」
「それどころじゃない! ジェフリーがどうにかなっちまって…僕に銃を突き付けて怖い顔で睨んでる! 頼むから…」
 シャーロックは雷にでも打たれたように、屈み込んでいた遺体から体を離した。
「落ち着け、ジェレミー。彼と話せるか?」
「…分かった、ちょっと待ってくれ…。」
「…シャーロック?」
「ミスタ・マクニール、君は…」
「あいつだ、シャーロック。モリアティーが目の前にいる! 生きてたんだよ! いつでも撃てるぞ、どうすればいい?」
「…僕が行くまで待てるか…ジョン…?」
「もちろん、待ってるぞ。」
 上着のポケットに携帯を戻したシャーロックは、物も言わずに立ち上がり、そのまま現場を後にすると黄色い規制線のテープ目がけて突き進む。慌てたディモックが小走りに後を追い、彼がテープを持ち上げたところでようやく追い付いた。
「どうした、シャーロック。」
「僕は戻る。」
「戻るって…捜査はどうなる?」
「他殺じゃない。僕が出張るほどの事件性はないよ。」
 言いながら、通りかかったタクシーに手を上げる。
「な…自殺だって言うのか?」
「アンダーソンにその線で分析させれば解決だ。」
「どこを見れば自殺だと…?」
「悪いが今は、話してる時間がない。ヒントはやった。たまには自力で見つけたらどうだ?」
 そう言い残し、目の前を走り去ってしまったタクシーのテールランプを、ディモックが恨めしそうに見つめていた。

「無事か、ジェレミー?」
 そう叫びながら狭い階段を一段飛ばしで駆け上がり、シャーロックが221Bのリビングに飛び込んでくる。目の前には予想通り、まん丸の後頭部があった。その脇を回り込むと、銃など触ったこともないはずの若者が撃鉄を起こし、両肘を真っ直ぐに伸ばして見事に構えている。
「銃を降ろせ、ジョン。」
 シャーロックは銃口とジェレミーの間に身体を入れ、先ず声をかけた。後ろでジェレミーが生唾を飲み込んでいたが、ジェフリーはきっぱりと首を横に振る。
「そこをどけシャーロック。何だってそいつを庇うんだ?」
「僕がモリアティーを庇うと思うのか? 心配ない、彼はただの幽霊だ。僕らに何も出来やしない。」
 ジェフリーの顔色が、微妙な変化を始めていた。そもそも大汗をかいていたが、顔色が土気色になるとともに、その表情も苦しげなものに変わっていく。
「…嘘だ。幽霊が階段を上ったりドアをノックしたりするもんか!」
「普通の幽霊ならあり得ないな。だが彼は普通じゃない。」 「どうしてだシャーロック、何で誤魔化そうとする? 僕だって医者だ、生きてる人間と幽霊の区別ぐらい…ちゃんと…」
 言葉が途切れ、ごぼっといういやな咳と共にジェフリーの身体が傾くと、真っ赤な飛沫が床に散る。真っ先に飛び出して、崩れ落ちる身体を抱き止めたシャーロックがジェレミーを振り返って叫んだ。
「救急車を呼んでくれ!」
 呆然とした表情で、携帯を取り落しそうになりながら、それでもジェレミーは何とかキーパッドを操作し、耳に当てる。
「心臓移植の拒絶反応かも知れないと言うんだ、ジェレミー!」
「えっ? 心臓…何だって?」
「いいから、救急隊に言った通り伝えろ!」
「…怖いよ、シャーロック…。」
 シャーロックの腕の中で、ジェフリーの手が震えながら、それでも万力のように強く彼のジャケットを握りしめている。
「大丈夫だ、ジョン。僕がここにいる…。」
「…嘘だ。また僕だけ残して…行っちまうんだろ…?」
「もうそんなことはしない。君とも約束したはずだ。」
 遠くから救急車のサイレンが耳に届く。先に行っちまったのは君の方だろ、という言葉を飲み込み、シャーロックはジェフリーの頭を胸に抱いた。


 病院に運ばれたジェフリーは、直ちに入院措置が取られ、血液の流れを良くする薬の投与が開始された。
「拒絶反応なら、なぜ免疫抑制剤を使わないんだ?」
 一緒に救急車に乗り込んできたジェレミーが、待合室の長椅子に収まったシャーロックに尋ねる。
「僕も移植医療に詳しいわけじゃないが…最近気になってちょっと調べた。ジェフリーの場合移植後何年も経ってるから、いわゆる急性の拒絶反応ではないと思う。となると何らかの原因で、心臓の血管が動脈硬化になった可能性が高いらしいんだ。」
「ど、動脈硬化?」
「確かな治療法はないし、このまま症状が進行すれば血管が詰まって心不全だ。再移植以外、助かる方法はないらしい。」
「…移植後7年、目立った拒絶反応なんかなかったのに…動脈硬化だけが原因とは、とても思えないわ…。」
 ジェフリーの異変を聞いて駆け付けた、当時の移植担当コーディネーターだったという女性が呟く。
「それはどういう意味なんだ?」
「ジェフリーか提供者のどちらかが、自分の中の異物に突然気付いてしまった…そんな感じがするのよね…。」
 それを聞いたシャーロックは、顔の前で両手の指を合わせ、眼を閉じると黙り込んでしまった。
 …それが本当なら…原因はこの僕かも知れないってことだ…。
 数分後、突然目を見開いたシャーロックは、立ち上がると右手奥のナースステーションに向かって突き進む。
「ドクターはいるか?」

 その夜、シャーロックは待合室にジェレミーと移植コーディネーターの女性を待たせたまま、一人ジェフリーの病室に入った。
 ベッドの中のジェフリーは異変があった時のため、既に人工呼吸器と繋がれた状態だった。
 ベッドの傍に腰かけ、その手を取ると突然、ジェフリーの眼が開く。
「気分はどうかな、ミスタ・マクニール…」
「…シャーロック?」
「…ジョンか…。」
「モリアティーはどうなった?」
「彼は大家のジェレミーだ。顔は似てるが、声も身長も別人だったろ?」
「…そうだったのかも…。びっくりして、考えてる余裕がなかった。ごめん、シャーロック。大家さんにも、謝らないと…。」
「いいんだジョン。無理もないことだから。」
「…今はもう、僕はジョンじゃない。自分で希望したことだし、ちゃんと納得もしてた。なのに…大学のPC画面で君の名前見かけてから…何もかもが崩れて…」
 語尾が乱れ、嗚咽に変わると、ジェフリーの瞳から溢れた幾筋もの涙がシーツを濡らす。シャーロックの手が伸びてきて、そんなジェフリーの前髪を愛おしそうに撫でた。
「大袈裟だな、ジョン。ジェフリーは生きてる。まだ何も崩れてなんかないさ。」
 ジェフリーがはっとしてシャーロックを見た。
「ジョン、君は…ジェフリーに道を譲れ。君とジェフリーが最初に望んだ通りにするんだ。そしたら僕らは…」
 だがジェフリーの眼が、すっと鋭くなる。
「いやだ! 僕はまだ…この世から消えたくないんだよシャーロック…!」
「誰が君に消えろと言った? 僕の話を最後まで聞け。ジェフリーに道を譲った君は、僕と一緒に221Bに帰るんだ。」
「…どうやって?」
 シャーロックは自分の胸を指先でトントンと叩きながら語りだす。
「今から君の居場所はここだ、ジョン。いや、もしかしたらずっと前からそうだったのかも知れないが…僕には気付けなかった。何年も前に、君の記憶は削除したつもりでいたから…。」
「削除したって?」
「ああ。ここ2~3年はほとんど思い出すこともなくなって、うまくやったんだと思ってたよ。ところがミスタ・マク…ジェフリーが来てからというもの…君の残像を見ない日はなくなって…ようやく僕も、削除出来てたわけじゃなく、無理やりどこかに隠してただけだって、気付かされることになった。その後はもう…。崩れてたのは君じゃなくて僕の方だと思うよ、ジョン。」
「…悟られたくなくて、名前で呼ばなかったくらいだもんな。」
「やはりバレてたか。とにかくジョン、君は…。」
「分かってる。この心臓は、ジェフリーに譲り渡すよ。僕らの最初の希望通りにね。そしたら僕は、君と…」
 直後に、人工呼吸器からけたたましい警告音が鳴り響く。
 ドクターや看護師たちが入り乱れて駆け込んでくる中、シャーロックだけがその波に逆らい、ゆっくりとジェフリーの病室を出て行った。待合室まで来ると、待っていたジェレミーとコーディネーターの女性の2人が弾かれたように立ち上がる。
「どうしたんだ、シャーロック!」
「…問題ない。ジェフリーの心臓なら、すぐに鼓動を再開するはずだ。」
「そうじゃなくて君だよ。ならばどうして、涙なんか流してる?」
「…涙?」
 はっとして自らの頬に触れたシャーロックは、濡れた指先を呆然と見つめる。
「大丈夫なのか、シャーロック?」
「もちろん、ジェレミー。何も問題はないさ。」


 同居14日目の午後。
 221Bと書かれた黒い扉の前に、シャーロックが立っている。しばらくすると中から扉が開き、ジェフリー・マクニールが重そうなスーツケースを転がしながら姿を現した。
「シャーロック。色々お世話になって、ありがとうございました。」
「僕の方こそ、色々と興味深い2週間だったよ、ジェフリー。」
 ジェフリーの瞳が、驚きに見開かれる。
「入院費まで出して下さったのに、今はお返し出来なくて…感謝しています、本当に。」
「大学に戻るんだって、ジェフリー?」
「ええ。指導教授が、僕を秘書として雇って下さることになったんです。」
「君の物書きの才能を見出してくれてたって言う教授だな? 成功を祈ってる。」
「実は、あなたにお渡しするものが…。」
 言いながらジェフリーが、小さなフラッシュメモリをシャーロックの手に押し付けた。
「この2週間、僕とあなたの間に起こったことをまとめたものです。後で手記として発表するための備忘録のつもりで書いてたけど…PCのデータは削除しました。この記録はあなたのものだと思ったから…。」
「…そして君の物でもある。」
 シャーロックが、受け取ったメモリをジェフリーの上着のポケットに押し込んだ。
「…シャーロック?」
「それは君に預けるよ、ジェフリー。公表するもしないも、その時期も含めて扱いは君に一任だ。好きにしてくれてかまわない。」
「それじゃ、公表は控えることにします。」
「…それはどうかな。何が書かれていようと、それが真実なら隠されるべきじゃない。そして僕は、そこに書かれていることが真実だと確信してるんだ。」
「…シャーロック…!」
「幸運を、ジェフリー・マクニール!」
 直後にタクシーが横付けされ、固い握手を交わした二人の男は、別々の道への一歩を踏み出した。


「結局、僕は何の役にも立てなかったみたいだな、シャーロック。」
 例によって221B階下のカフェで、マイク・スタンフォードがポツリと言った。
「どこで聞いても、君が知ってる以上の情報を教えてくれる人間が現れなくてさ…。」
 シャーロックは座面とほぼ直角の背もたれに身体を預け、窓の外に顔を向けたまま答える。
「いいんだマイク。ひょっとしたら瓢箪から駒が出やしないかと思って頼んだだけで、結果の予測はついていた。」
「それならいいんだが…。そういやジェフリーは、大学へ戻ったんだって?」
「ああ。指導教授に雇ってもらえることになったそうだ。」
「そうか。まぁ拒絶反応も酷いことにならなくて、どっちにしてもうまく収まったわけだ。」
「そうだなマイク。ジェフリーのことならもう心配いらない。きっと素晴らしい作家になるだろう。」
 カフェオレを飲むために屈み込んでいたマイクが、驚いて顔を上げる。
「普通ならまるで占い師みたいな物言いだといいたいところだが…。君のことだから何か根拠があるんだろうな。」
 シャーロックがゆっくりと窓から視線を戻し、真っ直ぐにマイクを見つめた。
「もちろんさマイク。彼の文才のことは、この僕が一番よく知っている。」
 一瞬怪訝な表情を見せたものの、その意味するところに思い当たったマイクが、シャーロックの瞳に向かって頷いた。
「…そうだろうね。」
「伝記作家なんて初めは胡散臭いと思ったが、彼に出会わなければ気付けなかったことがある。今となってはジェフリーに引き合わせてくれたことを感謝してると、君には伝えておきたい。」
 シャーロックの言葉に、マイクが満面の笑顔で答える。
「こちらこそ、君にそう言ってもらえるなんて光栄だよシャーロック。」
 とたんにシャーロックの落ち着きがなくなったことに気付いたマイクは、忍び笑いをかみ殺す。
「悪いがマイク、実験の途中だったことを思い出した。今日はこれで失礼する。」
 言い終わるか終らぬかのうちに立ち上がり、そそくさと店を飛び出したシャーロックだが、自分の分の会計もしっかりと済まされていることを見逃すマイクではなかった。
 やっこさんちょっぴり角が取れて来たかもな。素直じゃないところは相変わらずだけど、君の功績だとしたら大したものじゃないか。
 自分の心の中のジョン・ワトソンに、マイクはそう語りかけた。


【終わり】