我們一起走過的日子 -僕らが共に過ごした日々01-

同じく【僕らの間にある永遠】シリーズ番外パラレルです。しかも「将来有一天」後日談(7年後!)ですので先ずはそちらからお読み下さい。
他、モブキャラが出張っていますので苦手な方は閲覧ご注意下さいマセ。



「伝記作家だと?」
 221B階下のカフェでブランチ状態のシャーロックが鸚鵡返しに言う。
「そんなものに興味なんてないね。第一僕はまだ生きてるんだから、失礼じゃないか。」
 マイクは困ったように髪の薄くなった後頭部に片手を当てて、それでも人好きのする笑顔を崩そうとしない。
「分かってるよシャーロック。君ならきっとそう言うと思ったから先方にも難しいって伝えたんだが…とにかく一度会って欲しいの一点張りなんだよ。誰かさんみたいにとことん頑固な人物みたいでさ…。」
「ふん。」
「お、今ちょっとだけ眉が上がったぞシャーロック。ついでに言うと、その頑固な誰かさんは金髪で瞳が不思議な緑色だ。何か思い出さないか?」
「何の話だマイク。僕にそんな知り合いはいない。」
「…今はな、シャーロック。でもちょっと昔にジョンって男と暮らしたろ?」
 シャーロックは持っていたマグカップをテーブルに叩きつけ、マイクを取り殺さんばかりに睨みつけた。
「思い出したくもない! 二度とその名を口にするな! 分かったかマイク!」
「ご、ごめんよシャーロック。約束するよ、彼のことはもう言わない。だから頼む、会うだけでも会ってみてくれないか?」
「時間の無駄だ。」
「なかなか引き下がらないから、何とかなるかも知れないって先方に言っちゃったんだよ。一度会ってさえくれりゃ、その後叩き出そうと君の好きにしてくれて構わないから。頼むよシャーロック、僕を助けると思ってさ…。」
「そうしなければならない義理が僕にあるとも思えないがな。ただ、このところ死ぬほどの平穏で、退屈に殺されそうだったのも事実だ。全く君は運がいい。」
「まさか、会ってくれるのかいシャーロック?」
「…今そう言ったつもりだが。」

 …ジョン…?
 シャーロックが221Bのリビングに続く扉を開き、先ず目に入ったのが部屋の奥に鎮座する真ん丸な後頭部だった。
 思わずその名が口をついて出そうになり、次の瞬間そんなはずがないことを思い知らされる。
 扉の開く音に反応して振り返ったその顔は、かつての友よりかなり若々しく、シャーロックは二十歳そこそこという印象を持った。
「済みませんホームズさん! 大家のジェレミーさんが、中に入って待つようにと…。」
「シャーロックだ。他人行儀な呼び方はやめてくれ。」
「分かりましたホー…シャーロック。ジェフリー?マクニールです。あなたのご活躍をネット新聞やテレビて見かけて…ずっと気になっていたんです。今日はお忙しい中会って下さって本当に…」
「ミスタ?マクニール。悪いが僕はお世辞には興味がないし、下らんインタビュー取材の類を受けるつもりもない。僕のことを知りたいなら、方法は限られるってことだな。」
「まさか、あなたの助手になれと…?」
「いや…君がそうしたいならそれでもいいが…僕が言いたかったのは同行取材とか別の…。」
「同じことじゃないですか?」
 シャーロックは、まさか自分が墓穴を掘るハメになるとは、予想していなかった。
「…まぁ、そうだな。君が望むなら助手ってことにしてやってもいいが…。」
「ありがとうございます! 実はジェレミーさんが、空いてるから上の寝室を使っていいとおっしゃって下さったのて、荷物をそっちに移しちゃってあるもんで…」
「荷物って何のことだ、ミスタ?マクニール!」
さすがのジェフリーも、シャーロックの顔色が一変したことに気付いて慌て始める。
「え…? だって、助手にして下さるってことは、ここで一緒に…。」
「同居の話はそれとは全く別だろう! ここで待ってろ、大家と話して来る。」
 コートも脱がずに再び階下に消えてしまったシャーロックを待つ間、ジェフリーは先ず深呼吸して自身を落ち着かせ、周囲の観察に努めることにした。
充分な広さがあるとはいえ、とり散らかっているとしか表現出来ないリビングで、部屋の真ん中に鎮座する二つの一人掛けソファが何とも不自然だ。
一 つはシャーロックが頻繁に座るのだろう、背もたれに無造作にタオルが掛けられていることでそれが分かる。だがもう一方は…日に焼けて多少色褪せているものの、背もたれや肘掛けにスレはなくきれいなままだ。しかも奇妙なことに、座面にはユニオンジャックの小さなクッションの上にヴァイオリンが鎮座しているのだ。
 ホームズさんは何だってこんなものを…と訝りながらも、ジェフリーはなぜか、胸が痛くなるほどの懐かしさを覚えて近付き…。
「その椅子に触るな!」
 昼間だというのに雷が一閃したようなシャーロックの剣幕に、ジェフリーが飛び上がる。
「済みません! 僕…そんなつもりじゃ…。」
「僕の家だぞミスタ?マクニール! こそこそ嗅ぎ回るとは、一体何のつもりだったのかぜひ言い訳を聞きたいものだな。」
「その…どなたのヴァイオリンかと思ったもので…。」
「僕以外に誰がいる? そんな言い訳で納得すると思うか?」
「まぁちょっと待ちたまえシャーロック。部屋の真ん中に使われてないソファがあるのは不自然だし、彼の興味を引いてしまったとしても仕方ない。この際、ドクター?ワトソンのソファだったと知らせないのはアンフェアってもんじゃないか?」
 後からリビングに入って来た大家のジェレミーが割って入ってくれたが、シャーロックはどう見ても納得していない。
「…本当に済みませんシャーロック。あなたの物には、もう二度と触りませんから。」
「ついでに、二度と姿を見せないでくれれば有難いがな。」
「まぁまぁ、シャーロック。君の気持ちも分かるが、彼にも事情があるんだよ。大学を出たものの、まだまともな仕事に就けてない。実家へ戻ろうにも、事故でご両親を亡くしてるんだ。大学の教授に、文章が上手いから興味のある有名人の伝記を書かせて貰えってアドバイスされたそうだから、ここは人助けと思ってくれれば…。」
「どうして僕が、彼を助けなければならないんだジェレミー?」
 気まずそうに俯きながら二人のやり取りを聞いていたジェフリーが、意を決したように顔を上げる。
「…あのう、ホームズさん。ゴリ押しは僕の本意じゃありません。あなたがそこまで嫌だとおっしゃるなら諦めるしか…。」
「誰が嫌だと言った!」
「えっ…でも今…。」
 ジェフリーのみならず、シャーロック本人が明らかに自分の言葉に驚いた様子で、何度も瞬きを繰り返し、それでも何とか逃げ道を見つけ出した。
「二週間だ、ミスタ?マクニール。試用期間だと思ってくれればいい。その間に役に立ちそうだと僕が判断すれば、助手兼同居人として認めてやろう。だがその二週間のうちに何かあれば、問答無用で叩き出す。それでいいんだな、ジェレミー?」
「…驚いたなシャーロック。完璧に公正だ。」
「あ、ありがとうございますホームズさ…シャーロック! それじゃ僕、上で荷物を整理して来ますので!」
 ただならぬ気配を察したジェフリーが、新たな雇い主の気が変わらぬうちにとそそくさと出て行ってしまうと、大家の訝るような視線に応えてシャーロックがゆっくりと首を振る。
「全ては彼の…後頭部のせいさ、ジェレミー。」
「…後頭部…?」
「そのうち分かるよ。それじゃ、僕もちょっと、外で頭を冷やして来るから…。」
「遅くなるなよ、あの坊やが心配するから。」
ジェレミーの言葉を背中に聞きながら、これまでにない軽やかなステップで階段を駆け下りるシャーロックには、自身が始めたものが何なのかすら、まだ分かっていなかった。


【続く】