I Owe You... 05

2014年6月22日(日)開催の同人イベントにて頒布した新刊の書き下ろし小説です。
イベント後1か月以上経過したので、こちらにも完結まで順次アップしていきます。



 ジョンが気が付くと、いつの間にかロンドンに舞い戻っていた。
 ピカデリー・サーカスの喧騒の中、通りに面したカフェでコーヒーを啜っているのだ。そしてなぜか、シャーロックと出会うと同時に必要なくなった筈の杖が、テーブルの傍らに立てかけられている。
 …そう言えば映画に行くとか言ってたよなあの二人。ひょっとしてこのあたりの映画館に…。ジョンがそう思い直し、周囲に目を配り始めたのとほとんど同時だった。見慣れた黒髪で長身の、アイスブルーの瞳と眼が合ったのだ。
「…シャーロック!」
 そう叫んで思わず腰を浮かせたが、傍らで艶然と微笑むアイリーンの姿に一瞬躊躇してしまう。だがシャーロック本人は、不思議そうな眼でジョンを見つめたままだ。
「こんなところで偶然だなー、映画面白かったか?」
 微笑んでいたはずのアイリーンが、今は物凄い形相で自分を睨み付けていることは、この際無視してシャーロックに近付く。
「…杖はいいのか?」
「えっ…?」
「アフガニスタン? イラク?」
「…だって君、それはもう知って…」
「シャーロック、こんな人退屈よ、行きましょ。」
「まだだ。質問に答えてもらってない。」
 物凄い形相のアイリーンがシャーロックの袖を引くが、不思議なことに彼は動かなかった。
「アフガンだけど…それが何か?」
「…君は何者だ?ゲイなのか? 僕を一目見て叫んだだろう。」
 覚えていない…。そうだったのだ。彼の夢の中では、ジョンの存在はとっくに消されてしまっていた。足元から崩れて行くような感覚を味わいながら、それでもジョンは咄嗟に藁を掴むことが出来た。
「ジョン・ワトソン。ファンなんです、あなたの。」
「僕の…ファンだと?」
「ええ、あなたの活躍は新聞やネットで…。今だって僕をアフガン帰りの軍人だって言い当てたし、凄いですよ!」
「ふん、簡単な推理だ。君は髪形や姿勢が軍人らしいし、傍に杖があるのに今は使ってない。ということは脚が悪いのはPTSD、それほどの怪我なら…」
「…ねぇシャーロック、もう行かないと次の映画が始まってしまうわ。」
 声はやけに甘ったるかったが、こちらを睨む形相はモリアティーのままだ。不思議なことにシャーロックは全く気付かないらしかった。
「…あぁ、そうだったなアイリーン。申し訳ないがミスター…」
「ジョンでいいよ。映画楽しんで。」
「…そうか、ありがとう。」
「ええと、近々お宅に伺っても?」
「君なら構わないが…僕の家を知ってる?」
「…忘れるもんか。」
 ジョンの最後の言葉は、アイリーンに強く引っ張られてその場を離れたシャーロックに届いてはいないだろう。それでもジョンは、何かが伝わったことを確信した。何より、アイリーンに姿を変えたモリアティーにコントロールされているはずのシャーロックが、いっとき自分を貫いたのだ。
 今なら取り戻せるかも知れない。
 そう思ったジョンがさまざまな妨害を乗り越え、ベイカー街221Bに辿り着いた時には、既に夕刻が迫っていた。


【続く】