将来有一天 -いつかある日-

【警告】このお話も、キャラクターの死が含まれます。
同じく【僕らの間にある永遠】シリーズ番外パラレルです。同一テーマを別視点から…ってコトでよろしく。
今回はジョンの奥さんが早死にしてます。よろしければ本編にお進み下さい。



 221Bのキッチンで実験中だったシャーロックは、突然鳴ったドアベルの音に思わず顔をしかめる。
 無視するわけにも行かず渋々実験の手を止め、こんな夜中に誰なんだ、と心中で悪態をつきながら階下の玄関に向かう。
 ところが、開いた扉の向こうにあった懐かしい笑顔に、シャーロックの頬も緩んでしまった。
「やあシャーロック、久し振り。」
「…ジョン! まさか君が来るとは思わなかった。」
「運よくクリスマス休暇が貰えたんだよ。」
「君が一昨年軍に復帰して、今はシリアに派遣されてるってことはマイクに聞いてたから…とうぶん会えないと覚悟してたんだ。」
「確かに、さっきまでシリアにいたよ。」
「さっきまでか…君は相変わらずみたいだな、ジョン。」
「…君も相変わらず、ハドソンさんをイライラさせてるみたいじゃないか。」
 階段を登り切り、リビングを覗いたジョンが先ずそう言った。


「何か飲むか? 珈琲は?」
 キッチンの扉の向こうからシャーロックが声をかけると、リビングでソファに収まり、頬杖をついて窓外の闇を見つめていたジョンが顔を上げる。
「君が淹れてくれるのか?」
「滅多にないぞ、今夜だけのスペシャルメニューだ。」
「だったらぜひ飲まなくちゃな。」
「シリアの状況はどうなんだ? 少しはマシになりそうか?」
 沸かした湯をペーパーフィルターに少しずつ注ぎ入れ、ポットに落ちる珈琲を見つめながらシャーロックが尋ねる。
「どうだろう…。そもそも正規軍といっても統制が取れてない連中が相手だから、自分の身を守るだけで精いっぱいってレベルだよ。」
「早く任務が明けるといいな、ジョン。」
「…祈っててくれ。」
 そう言いながら、シャーロックに手渡されたコーヒーに口を付けたジョンは思わず顔をしかめる。
「おい、前にも言っただろ。僕は砂糖は…。」
「もちろん覚えてるさ。懐かしいだろ、バスカヴィルの味がして。」
 ジョンは一瞬天を仰ぎ、甘ったるいコーヒーを一気に飲み干した。
「全く。あの時は危うく実験台にされかかったし…君の底意地の悪さは全然変わってないんだな。」
「そんな奴にわざわざ会いに来る物好きが君だろ?」
「…分かった、認めるよ。ロンドンで君と過ごした数年間ほど、僕にとって楽しかった時はない。特にその後いいことが続かなかったから、なおさらそう思うのかも知れないけどね。」
「…ジョン…。」
「ごめん、最後のは忘れてくれ、ただの愚痴だ。」
「いいんだジョン、メアリーは本当に残念だった。」
 3年前、ジョンの愛妻メアリーは、小さな命を授かったのとほとんど同時に子宮に癌が見つかり…全身全霊を捧げたジョンの治療も虚しく、母子は天国へ旅立ってしまった。
 当時チェルトナムの診療所勤務だったジョンを、シャーロックはロンドンに呼び戻そうと考えたこともあったが、そのきっかけがつかめないまま、ジョンが英国軍への復帰を決めてしまったのだ。
「…とにかく、短い間だったけど僕はここで暮らして幸せだった。」
「そう言ってくれてうれしいが…僕らにはまだ先があるんじゃないか? もっといいことが待ってる可能性もあるぞ。」
「…だけどシャーロック、世界宗教にまでなったキリスト教だって、イエスが弟子たちと共にいたのはたった3年間だけだ。その3年が、弟子たちにとっては幸福で忘れ難い時間になったんだよ。イエスを失った弟子たちの慟哭こそが復活信仰を生んで、世界宗教に発展する原動力になったんじゃないかと思うんだけど…。」
「それはいいがジョン、結局君は何が言いたいんだ?」
「つまり弟子たちにとって、あの3年間が永遠のものになったってことだ。」
 いつの間にか、窓の外では雪が降り始めていた。
「僕らだって同じさシャーロック。ここで君と過ごした数年間こそが、僕の人生の全てだった。君にそれだけは、 言っておきたかったんだよ。」
「言いたいことは分かるがジョン、3年がイコール永遠とは、何か矛盾してないか?」
「永遠は刹那と同じことだよシャーロック。」
「…そうか?」
「何十年あるうちのほんの数日間の幸せが、その人の全人生を輝かせることだってある。そういうもんだろ?」
「…それを言うためにわざわざクリスマス休暇を取って、シリアから戻って来たって言うのか?」
「…いけないか? 君のヴァィオリンも、何年も聴いてなかったしね。」
「何と言うかジョン、君も贅沢な身分になったものだな。」
「…そうだな、確かに。神様が僕に、こんな風に時間をくれるなんて思っても見なかったよ。」
「ジョン、君さえよければだが…軍の任期を終えたらまたここに戻って来ないか?」
「…そうだなシャーロック。君がそう言ってくれるなら、いつかまた、ここに戻るのもいいかもな…。」
 ジョンがそう言い終えた時、シャーロックの携帯が鳴った。
「…ちょっと待っててくれジョン。こんな時間に誰なんだ?」
 シャーロックは一時ジョンに背を向け、窓外の雪を眺めながら携帯からの声に耳を傾ける。
「ああ、マイクか、久し振り。ああ、ジョンなら今ここに…えっ、何だって? マイク、今何と言った? ジョンがシリア軍との市街戦で亡くなっ…」

 驚いたシャーロックが振り返ると、さっきまでジョンが座っていたソファにはユニオンジャックの小さなクッションだけがある。
 飲み干したはずのコーヒーが、まだ並々とカップに入った状態で肘掛に置かれていた。
 シャーロックは茫然と携帯を耳に当てたまま、小さなクッションに指先でそっと触れる。

「…ああ、マイクか、聞こえてるよ大丈夫。さっきまで実験中だったから頭が切り替わってないだけだ。ああ、分かってる。知らせてくれて本当に感謝するよ。…ありがとう。」

 シャーロックの耳に、初めて2人でロンドンの街を疾走した夜の、ジョンの快い笑い声が甦った。
 あの瞬間こそが、ジョンと自分にとっての永遠だったのだと、今は痛いほどに実感出来る。

 上着のポケットに携帯を戻したシャーロックがヴァィオリンを手に取り、さっきまでそこに座っていたジョンのために、想いを込めてアメイジング?グレイスを奏で始める。
 小雪の舞うベイカー街に、美しくも哀しい旋律がしみ渡っていった。

 永遠と刹那は同じことだよ、シャーロック…。
 そうだなジョン、本当に君の言う通りだった…。

 やがて…演奏を終え、ジョンのソファにそっとヴァィオリンを立てかけたシャーロックは、溢れる涙をどうすることも出来ず、長い夜をただ立ち尽くしていた。


【終わり】