It Came Upon The Midnight Clear 天なる神には

【警告】 このファンフィクには登場人物の死が書かれています。
また、設定もライヘンバッハから10年後ということになっていて、【僕らの間にある永遠】シリーズではありますがAU(番外パラレル)ですので苦手な方は閲覧ご注意下さい。
※ライヘン後ジョンとシャーロックが再会するまでの3年間でジョンはメアリーと言う女性と出会い、再会後にデキ婚。同時にロンドンを離れ、チェルトナムと言うところで開業。
愛娘のグレッチェンは7歳…と言う設定なってます。よろしければ本編へドウゾ~。



 冬のコッツウオルズ地方チェルトナムでは、午後3時を過ぎると早くも暗くなってくる。
 一日の仕事を終え、診療所からすぐ裏の自宅に戻って来たジョンは、扉が開くと同時に飛び出して来た愛娘のグレッチェンと正面衝突しそうになり、とっさに抱き上げてその額にただいまのキスをした。
「パパ! 来てるよ、あの人からのカード!」
「…あの人って誰だっけ?」
「パパがいつも話してくれるコンサル…えっと、探偵さんのこと。」
「シャーロックか? クリスマスカードが届いたって?」
 ジョンは抱きかかえていた愛娘をふわりと着地させると、脱兎のごとくリビングに駆け込み、マントルピースに乗っかっている手紙の束をひったくるようにして掴むとソファーに座り込んだ。
 すぐに、大き目の緑の封筒が目に留まる。読みやすいブロック体は間違いなく彼の筆跡だが…。ジョンは結局、開きかけた封筒をテーブルに戻した。
「あらジョン、どうして開けないの?」
 声の主は妻のメアリーで、紅茶セットをトレイに乗せて運んできたところだ。
「…妙なんだよメアリー。リターンアドレスがベイカー街221Bのままになってる。一昨年ハドソンさんが亡くなって…葬儀で教会に行ったとき彼に会った話はしたよな?」
 メアリーはジョンに紅茶を淹れたカップを手渡しながら答える。
「覚えてるわよ。夫人のいない221Bは退屈だから年明けに引っ越す予定で、新しい住所は来年末のクリスマスカーで知らせるって話だったのよね?」
「そうだ。結局そのカードが来なかったから彼の携帯にメールしたんだけど…その後音信不通のままになってた。ずっと気になってたからカードくれたのはうれしいけど…新しい住所はどうなったんだ?」
「結局引っ越さなかったんじゃないかしら。あなたも離れ難かったって言ってたじゃない。ねぇ、とりあえず開けてみたら?」
「…そうだよな。」
 その時の僕は、何か胸騒ぎのようなものを感じていたのかも知れない…。後にジョンは、自身のブログにそんな風に書き残すことになる。
 開いたカードの文面は、メリークリスマスでも季節の挨拶でもなかった。

『12月24日21時
 都合がつけばベイカー街221Bへ。
 やっぱり都合がつかなくても来てほしい。
 危険を覚悟する必要はないが、出来れば君一人で。 SH』

「あら素敵じゃない!」
 ジョンの感じている胸騒ぎとは無縁なメアリーが、カードを覗き込んで言った。
「きっと何かサプライズがあるんだわ。」
「君も…そう思う?」
「いいわよね男同士の友情って。何年たっても会えば昔に戻れるもの。」
「女性だって同じだろ?」
「うーん、それって微妙なところ。女性の場合恋人が出来たり結婚したりすると、生活の全てが変わってしまうから…。昔の友達に会っても、子供とか共通の話題がないと気まずい沈黙に支配されちゃうことが多いわ。」
「へーぇ、そういうものなんだ。僕ら男性はそれだけ単純ってことか…。」

 ジョンは心に何か引っかかるものを抱えたままクリスマスイブを迎え、特急列車の乗客になった。


 12月24日午後9時。
 時間通りにベイカー街221Bの扉の前に立ったジョンだったが、呼び鈴を押してもシャーロックが出てくる気配もなく、試しにリングを引っ張ると簡単に扉が開く。
「シャーロック、いくら僕が来ると分かってるからって、夜は鍵かけなきゃ不用心だぞ?」
 言いながら懐かしい階段を駆け上がる。人の気配はするものの、返事がないのが気がかりだ。
 まぁそもそも愛想のいい奴じゃなかったけれど…。
 リビングに続く扉の前でノックしてみたがやはり何も返ってこない。不安に駆られて一気に扉を開け放つと、221Bの懐かしい匂いが押し寄せてきて、ジョンはしばし息がつげなかった。
 驚いたことに、リビングはほとんどがジョンの記憶にある通りで、何も変わっていない。しかも扉を開けた瞬間に舞い上がった綿埃の量からすると、やはりこの部屋は長いこと使われていないのだ。
「シャーロック、どうしたんだ。ちょっとこの部屋暗過ぎないか?」
 言いながらジョンが天井の照明のスイッチを入れる。いくらか雰囲気がましになった。
「来たのか。今点けようと思ってたところだ。」
 懐かしい声のした方に首を曲げると、右手奥のソファーに横になっていたシャーロックもこちらに顔を向けている。ジョンの顔がみるみるほころんだ。
「また携帯貸せなんて言うなよ。メール送るのもごめんだ。チェルトナムからわざわざ出て来たってのに…。」
 言いながらソファーに近づく。だが、ほころんでいたはずのジョンの口元がまた一気に引き結ばれる。ほぼ3年振りに再会したシャーロックは頬がこけ、見る影もなく痩せさらばえていた。
「…まさか病気…末期癌なのか?シャーロック…」
「さすがの見立てだな、ドクター・ワトソン。主治医が言うには、僕は悪性リンパ腫でそろそろ死ぬ頃合いだそうだ。」
 そう言うとシャーロックが右手を掲げてみせる。手首に緊急連絡先の書かれたタグが巻かれていた。
「これを着けることを条件に、ホスピスから外泊許可を勝ち取ったんだ。」
「何で…」
 言葉が途切れ、ジョンは呆然とした表情のままフラフラと2、3歩後ずさる。
「何で今まで連絡くれなかった! 友達だと思ってるのに! 何でいつも、一番大事なことを知らせてくれないんだ! 10年前と何も変わってないじゃないか!」
 シャーロックは自分に向かって感情を爆発させる友人をただ眺めていたが、彼と一瞬視線が合ったジョンは、その瞳にたたえられた痛ましいほどの悲しみに圧倒され、言葉を失った。
「君に知らせることを考えなかったわけじゃない。ただ…春先に兄に無理やり病院に連れて行かれた時から、既に手の施しようがないと言われてたんだ。君に希望のない治療を…頼むに忍びなかっただけだ。」
 ジョンはダイニングの、いつもシャーロックが座っていた椅子にどさりと腰を降ろした。
「…ごめん、シャーロック。君に当たるなんてどうかしてる…一番辛いのは君なのに…。」
「いいんだジョン。ただ…分かってほしい。決して君をあてにしなかったわけじゃない。むしろ問題だったのは僕の方で…つまり、事実を受け入れるのに時間がかかり過ぎたってことさ。」
「ああ、シャーロッ…」
 とうとうジョンはシャーロックの顔がまともに見られなくなり、窓の方を向いたまま首を左右に振り続けている。
「ジョン、聞いてくれ。君に出会う前の僕なら、こんな死に方絶対に承服出来なかった。当然自死を選んでいただろう。でも今は…。それが君をどんなに哀しませることになるか、少しは分かるようになったつもりだ。だから僕は…ホスピスで生活の質が保たれることを条件に、寿命を全うすることに決めたんだ。そしてそれを伝えるために、こうして君に会いに来た。…だからジョン、もう泣くのを止めてくれ。」
「だって…もうすぐ君と会えなくなるってことじゃないか…!」
「そうとは限らんさ。たぶんだが…」
「どういう意味だよ?」
「死ねば僕は、もう“ここにいる”とか“あそこで見かけた”とかいう存在ではなくなる。だから君が想うだけで、僕はいつでもそこに居るんだよ、ジョン。」
「本当に来てくれるのか?」
「もちろん。だから友達なんだろ?」
「シャーロッ…」
「泣くなと言ったろう!」
 ジョンはまだ窓に顔を向けたままだったが、一瞬振り返ってシャーロックの瞳を盗み見、すぐにまた眼を逸らす。明後日の方向を向いたまま、それでもジョンはきっぱりと口に出した。
「…ここに居たい…。」
「ジョン、何だって?」
「いつまでもずっと…君とここに…。」
 シャーロックもいつしか、ジョンから視線を外していた。ゆっくりと壁紙の模様を吟味しているような表情だ。
「その願望がいかに非現実的か、君が一番良く分かってるはずだ。」
「シャーロッ…」
「よく聞けジョン。もっと現実的な話をしよう。これからも、僕らはずっと友達だ。あの世とこの世のどっちにいようと…違うか?」
「と…友達だ…。」
「なら、僕らに別れは来ない。そうは思えないのか?」
 2人はとうとう、まともに視線を合わせた。お互いの瞳に、お互いの悲しみが照り返っている。いたたまれなくなったジョンが、先に眼を閉じた。
「…そうだなシャーロック。君がそう信じてるなら、僕も信じることにするよ…。」

「今思うと僕はとても幸福な男だって、最近気付いた。特に君と過ごした数年間は特別だった。きっと誰もが得られるものじゃないだろう。もしかすると君には迷惑だったのかも知れないが…」
「ちょっと待った。親友だってのに迷惑なわけないだろう、何で君はいつもそんな風に…」
「…僕らはいつも、些細なことでやり合ってたじゃないか。今みたいに…」
「だっ…人間が違うんだからやり合うのは当たり前さ。仲がいいほど喧嘩するって諺、知らなかったのか?」
「…そうなのか? それじゃ君も…」
「僕にとっても、あの数年間は最高の思い出だよ。君みたいな友達には、もう巡り会えないだろうな。」
「…ありがとう、ジョン。」
「こちらこそだよ、シャーロック。」
 ジョンがそう言い終えると、シャーロックが大儀そうに身じろぎした。
「済まないがこのところ疲れ易くなった…。ちょっと眠ってもいいか、ジョン?」
 ジョンは駄目だと言いたかった。昔みたいに朝までゲームを続けよう…でもその代わりに生欠伸をしながら、彼はこう言った。
「実は僕も、さっきから眠いんだ…。」
 そしてシャーロックを抱きかかえ、その驚くほどの軽さに打ちのめされそうになりながら彼の寝室に向かう。
 2人は同じベッドに横になり、同時に目を閉じた。


 朝方、ジョンは目を覚ましたがシャーロックの意識はなく、呼吸が浅く緩慢なものになっている。携帯を引っつかみ、手首のタグに書かれた番号に連絡すると、数分後にはホスピスのドクターカーが到着した。
 フラットを出て車まで運ばれるストレッチャーを強い既視感とともに見つめていると、病院スタッフの一人がご一緒にどうぞと声をかけてくれた。だが一瞬の躊躇もなく、ジョンは首を横に振る。
 彼の魂は既に、永遠(とわ)の旅立ちへの準備を終えたのだ。骸になる過程を追いかけても仕方がない。
 だけどまた、君は戻って来てくれるんだ…。
 走り去るドクターカーを見送って、もう二度と訪れることのないベイカー街221Bの扉を振り仰いだジョンの背後を、クリスマス礼拝に向かうらしい親子連れが通り過ぎる。彼らの歌っていたクリスマス聖歌がお気に入りだったので、彼もつられて口ずさんだ。

「It Came Upon The Midnight Clear, That glorious song of old...」

 神には み栄え 地には安き
 人には み恵み あれとうとう
 天つ 使いらの 清き声は
 静かに 更けゆく 夜に響けり

 今なお み使い 翼を伸べ
 疲れし この世を 覆い守り
 悲しむ 都に 悩む鄙(ひな)に
 慰め 与うる うたを歌わん


 ジョンが再び特急列車に揺られ、チェルトナムの自宅に戻る頃には、もう夕刻がせまっていた。


【終わり】