Unity 02

この小説にはキャラクターの死が含まれます。
またライヘン後1年以内を想定した、完全なAU(パラレル)です。モブ(オリジナル)キャラも出まくります。どれか1つでも苦手な方、閲覧ご注意下さい。



「車を止めて、ヘイワード!」
「ミリアムお嬢様、何か問題でも?」
 黒塗りのベントレーを路肩に寄せながら、ハンドルを握っていた執事のヘイワードが尋ねる。
「とぼけないで、見えてたはずよ。さっき路肩にいた人、ガタガタ震えて、今にも倒れそうだったわ。」
「11月の寒空に病院の寝間着姿では、凍えない方がどうかしてますよ。」
「やっぱり見えてた。乗せてあげて、お願い。」
「お気持ちは分かりますが、どこの馬の骨とも分からない者を…。」
「そりゃ怪しくないとは言わないわ。でもあの恰好じゃ、少なくとも銃とかナイフとかは、隠せないと思わない?」
「おっしゃる通りですな。承知しました、お嬢様。」

 目の前に黒塗りの高級車が横付けし、ドアが開いた時、ジョンは強い既視感に囚われた。だが中から12歳くらいの、愛らしい赤毛の少女が顔を出すと、不安が一気に霧散する。ヘイワードは車を発進させる前、後ろに回って毛布を1枚取り出し、赤毛の少女がその毛布で体を包んでくれていた。
「すみません、ご厚意に感謝します。」
 走り出した高級車の後部座席で、まだ震えが治まらず歯の根も合わない状態ながら先ずジョンが言い、シャーロックが後を引き取る。
「…こんな時になんですが、この車つけられてるんじゃありませんか?」
 隣に座る赤毛の少女の顔色がさっと変わる。どうやらこういう事態は初めてではなさそうだ。
「…まさかそんなはずは…いや、確かにあれは…。」
 バックミラーを確認した執事がアクセルを踏み込み、一気にスピードを上げる。だがミラーに映った不気味なシルバーのBMWもぴったりとついてくる。そして突然、こちらに向かってマシンガンでの銃撃が始まった。
「すみません、あなたは銃をお持ちですね?」
 タタタ…という不気味にリズミカルな銃声にもパニックに陥ることなく、右に左に見事なハンドルさばきで直撃を回避する執事に、ジョンが声をかける。
「…どうしてそれを…?」
「今はそれどころじゃありません。僕に貸して頂ければ、どうにかできると思うんです。」
「…しかし…。」
「貸してあげて、ヘイワード!」
「お嬢様、いくらなんでも…。」
「分かってる。何かあっても私の責任なんだから大丈夫よ。…お願い。」
 ヘイワードがちらりと後ろを振り向き小さく頷くと、同時に赤毛の少女が前に乗り出し、慣れた様子で正面のコンパートメントを開くと、中から拳銃が転がり出る。後部座席の男に手渡しながら、少女は眉をひそめた。
「だけどあなた、まだ震えてるわ…。」
「…彼に任せれば大丈夫。」
「えっ、彼って…?」
 ジョンはその質問を無視して、後部座席のパワーウィンドウを操作する。外に身を乗り出したと思った次の瞬間には、大きな破裂音と共にタイヤを軋ませながら、BMWが遥か後方に流れて行った。
「やったわ、すごい!」
 ヘイワードがゆっくりと、ベントレーを路肩に寄せる。
「お見事なものですな。走行中の車から、向こうも動いてる的に命中とは。そろそろ正体を明かして頂きたいものです。もちろんご返答次第では、この先お連れするわけには行かなくなりますが。」
「そんな、ヘイワード!」
「…僕らもお答え出来たらどんなにいいか。でも自分がどこの誰なのか、どこから来たのか、何も覚えていないのです。」
「それは、まことにご都合のよろしいことで。」
「僕らもそう思ったでしょうけど…信じてもらうしかありません。僕らの最後の記憶は、昨日の夜までしか遡れないんです。どこか病院か研究室みたいなところで、白衣の男に強い薬を打たれて眠らされたところまでです。次にどんな薬を打たれるのか怖くなって…未明に目覚めると抜け出してた。僕らが誰で、どんな理由でそこにいたのかも分からないままなんだ…。」
 言いながらシャーロックが、毛布をかぶり直すとその端を胸の前でかき合せる。
「寒いの?」
 赤毛の少女が寄って来て、彼の額に手を当てる。
「すごく熱い! 大至急よヘイワード!」
「…頼む、僕らを病院へは…。」
「分かってる。私の家にお抱えのお医者様がいるの。とっても口が堅いから心配しないで。」
 少女の言葉を聞きながら、ジョンとシャーロックは同時に意識を失っていた。

 目を覚ますと天蓋付の豪奢なベッドに寝かされていて、ジョンは驚いて飛び起きるが、シャーロックは落ち着いたものでそのままの体勢で大あくびをかました。
「ご気分は如何でございますかな?」
 傍らの執事が、オートミールなど簡単な食事の乗ったトレイを手にほほ笑んでいる。
「こちらの医師の見立てによれば、急な高熱は一昨夜打たれた強力な鎮静剤か何かの影響だそうで…。昨日のお話の少なくとも一部が、真実であることが証明されましたな。」
 ジョンが何か答えようとしていると、ドタドタと走る足音がドアの向こうから近づいてくる。
「目が覚めたのね? よかった、ジミー! 今日からあなたはジミーよ!」
 大声でわめきながらドアを蹴破るようにして飛び込んで来た赤毛の少女を、かわそう身構えたシャーロックだがジョンが何とか踏み止まらせ、少女は彼の首っ玉に抱きついた。
「ジミーって…僕らが?」
「だってほら、名前がないと不便なんだもの。それともジミーじゃ気に入らない?」
「ああ…いや、君たちが呼びやすいならジミーでいいよ。」
「よかった!」
 そう言ってジミーの額にキスを落とすと、少女はヘイワードから朝食のトレイを引き取り、ベッドにセットしてくれた。
「ゆっくり食べてね。私はこれから学校行かなくちゃ。」
「ああ、ありがとう、気を付けて。」
 少女が出て行ってしまうと、ジョンが朝食の手を止めて口を開く。
「すみませんヘイワード。こちらからお尋ねしても?」
「かまいませんよ、どのようなことでも。」
「…あの子はどうして、命を狙われてるんですか?」
 執事は瞑目し、大きく息を吐く。
「昨日のBMW…あれは実は、マフィアの手の者です。」
「マフィアですって?」
「…ミリアムお嬢様のお祖父様は有名な新聞王でした。ご両親が立派に引き継いでおられましたが…マフィアの関わった事件を真正面から取り上げ、逮捕に結びつけたことで恨みを買ってしまわれたのです。先ずはご両親が屋敷内で事故に見せかけて殺害され…ご長男のジェイムズ坊ちゃまも去年15歳の年に…。」
「何てことだ…事故に見せかけたって、警察には届けられたんですよね?」
「もちろん。しかし彼らの捜査はお座なりでした。どのみち目ぼしい証拠は消されてしまって…素人の私たちにはどうしようもなかったのです。」
「待ってくれ、両親がこの屋敷内で殺されたって? 証拠が何も出なかった?」
「ええ、警察が一通り調べたのですが…。」
「待って…ちょっと待って下さい、食事を終えたらすぐに。」
“何考えてるジョン? 食べ過ぎると思考が鈍る!”
“これぐらいで食べ過ぎなんかなるもんか。食わせないなら手伝わないぞ。”
“しょうがないな…。だったらもっと早く食べろ!”
“ちょっ…そう急かすなったら!”
 突然馬車馬のような勢いでオートミールを口に運び始めた男を、ヘイワードがもの問いたげな視線で見つめていたのを、ジョンもシャーロックも気付かずにいた。

 ミリアムが学校から戻って来ると、屋敷の車寄せに赤色灯をひらめかせたパトカーが横付けされている。訝りながら玄関ホールに入ると、2名の警察官らしき男たちがヘイワードに敬礼すると踵を返して出ていくところだった。
「何があったの、ヘイワード?」
「それが…ミリアムお嬢様、ご両親殺害に関わったマフィア組織の実行犯が、逮捕されることになったのです!」
「何ですって? いったいどうやったの?」
「実は、あのジミーが新たな証拠を見つけたのです。」
「…彼はどこ?」

 その夜、寝室に引き上げる時間になってもミリアムはリビングに居座り、ジミーが両親が殺害された食堂の食器棚の裏から、家族や使用人のものでないと思われる数本の髪の毛や糸くずなどを見つけ出した話を聞きたがった。
 ようやくあくびを連発し始めた少女を戸口まで送り、ヘイワードとジミーだけになると、とうとう執事が切り出した。
「実は…お嬢様からあなたを、探偵及び身辺警護のスタッフとして雇用するようにと言われています。」
 彼は、ジミーが戸惑ったような表情で首を振るのを確認してから続ける。
「私とて、あなたを信じたい気持ちは山々です。だがあなたは証明できない。警戒せざるを得ないのです。だからといってここであなたを追い出すようなことをすれば、お嬢様との信頼関係が崩れましょうし、昨日の話が本当ならあなたもお困りになるでしょう。なので3ヵ月だけ、あなたを庭師としてお雇いすることに決めました。3ヵ月後にお困りにならないよう、給金は弾みます。ただし、必要以上にお嬢様と接触しないというのが条件です。」
 ジミーと名乗ることになった男は、ヘイワードをまっすぐに見つめて頭を下げる。 「3ヵ月も落ち着けるなんて思っていませんでした。僕らがあなたの立場でも、きっと同じような結論を出したでしょう。庭師なんて初めてだけど、3ヶ月間ベストを尽くしますよ。」


 ミリアムはジミーが3ヵ月かけて整えた、池泉座視式と呼ばれる美しい日本庭園を見渡す2階のポーチに立っている。傍のベンチには、旅支度を整えたジミーが荷物(といってもデイバッグ一つだったが)と一緒に腰かけている。
「もう行っちゃうのね、ジミー。」
「午後のバスだ、まだ時間はある。」
「だったら、個人的なこと聞いてもいい?」
「答えられるかどうか分からないけど…それでも良ければ、どうぞ。」
「あのね、ジミーってば自分のこと、いつも“僕たち”って言うのよね。それって何か意味があるの?」
 ジミーが大袈裟に肩をすくめ、首を振りながら苦笑いしている。
「…参ったな。自分でもたまに気付いてたんだが、ほとんど無意識だったからな…。いや、意味というか、つまり僕らは統一体だってことさ。」
「…統一体?」
「ああ。僕ら人間って外から見れば一個人だけど、本来たくさんの細胞の集合体…つまり統一体だろ? だから一人のようで本当は一人じゃない。よく覚えてないんだが、それに気付かされる体験があったみたいなんだ。それ以来自分のこと、どうしても“僕ら”って言っちゃうんだよ。」
「…そうだったんだ。」
「何で僕らが日本庭園なんか造る気になったか、まだ話してなかったよね。日本庭園は仏教の世界観を表してて…仏教には“多にして一、一にして多”って言う考え方があるんだって。何となく、僕らの心境にぴったりだと思ったもんで…。」
「…ヘイワードとも、時々話してたんだけど…。髪の毛や糸くず見つけてくれた時のジミー、すごく横柄でいやな奴だったんだって。そう言えば私も…私の話を辛抱強く聞いてくれるジミーと、すごく煩そうにしてるジミーが居るなって思ってた。だからさっきの統一体だと気付かされる体験って、もしかして何かの実験で…ジミーの中に2人分の心が入ってるんじゃないかって…。」
「ミリアム、それは…。」
 ジミーの表情が微妙に変化しているのを、ミリアムは見逃さなかった。しかし彼女は、結局こう言った。
「分かってる。ヘイワードも私も、この事は誰にも話さないつもりよ。ヘイワードがそうしなきゃ駄目だって。私もそうだと思うから…。だから答えてくれなくていいの。美しいこの庭園がある限り、あなたのことはぜったい忘れないし。」
「…ミリアム、ありがとう…。」
 ジミーがゆっくりと立ち上がる。
「元気でね、ジミー。」
「…ジョンだ。僕の名前はジョン。もう一人の方は…ちょっと変わってるんで言えないけど…。」
 ミリアムの瞳に涙が盛り上がり、大粒の滴となって流れ落ちた。
「ありがとう、ジョン。ぜったい誰にも言わないから…。」
「…分かってるよ、ミリアム。」
 そして…そろそろバスの時間だとヘイワードが告げに来て、何度も後ろを振り返ろうとするジョンの首を動かさないよう歯を食い縛り、シャーロックが大股で玄関ホールを出口に向かう。最敬礼で見送るヘイワードの姿を目の端に止めて、彼らはそのまま屋敷を後にした。

“これからどうする、シャーロック?”
“そうだなジョン、しばらく海を見てないな…。”


 それから何年かが過ぎた頃、フランスの外人部隊で“Unity(統一体)”と名乗る不思議な兵士のことが、伝説として語られ始める。
 Unityは自分を複数形で呼び、何物も見逃さない冷徹な観察眼と、仲間思いの勇敢さを兼ね備え、どんな危険な任務も躊躇うことはなかった。部隊として行動を共にした仲間のうちで、彼に命を救われなかった者はほとんどいない。
 ところが内戦状態のマリに派遣されて間もないある日、爆弾テロに巻き込まれたUnityが行方不明となり、未帰還兵の一人として数えられることになってしまった。それでも部隊の仲間達は誰一人として、彼に限ってそれが死を意味するものだとは信じていない。
「あいつのことだ、きっと未帰還兵になりすましてトンズラしたに違いない。」
「あり得るな。あいつが爆弾を見逃すなんてあるわけねーし。」
「きっと今頃、ロンドンのカフェで紅茶でも飲んでるんじゃないか?」
「…そうだな…帰りたがっていたもんなぁ、英国に。」
 誰もがその死を悼もうとせず、彼と共にあった時のことを語り合った。語り合ってさえいれば、どこかで彼が生きている…そう信じることが出来たから。


【終わり】