時の碑 01

シーズン1と2の間あたりの出来事と想定してますが…何とジョンは8歳のコドモ。またしても時間パラレルです。
また、ジョンの家族を捏造してもいますので、オリキャラ等の苦手な方は閲覧ご注意下さい。


 8歳になったばかりの男の子の小さな身体が、大柄な成人男性の太い腕の一振りで部屋の隅まで飛ばされる。同じ部屋の別の隅で、男の子の母親と思しき女性が恐怖に打ちのめされた表情で、叫び続けていた。
「あなたお願いやめて! ジョンには手を出さないって約束だったじゃない!」
「確かにな。だが今のは躾で暴力じゃねーぞ。俺に逆らわなけりゃって、条件があっただろうが!」
「違うわ、ジョンは私を守ろうとしただけで…あなたに逆らったんじゃ…。ジョン、待って!」
 身を起こしかけていた男の子は母の制止に動きを止めたが、顔だけは男の方に向けてにらみを利かせている。その瞳には一片の曇りもなく、恐怖に揺らいでもいなかった。
「全く、俺の息子をよくぞここまで反抗的に育てたもんだ!」
 言いながら男はゆっくりと椅子から立ち上がり、ダイニングテーブルを回って母親ににじり寄る。すかさず飛び出した男の子が、その腰のあたりに飛びついた。
「ジョンだめ! もうパパを止めないで!」
 母親の悲鳴にも似た制止の声は既に遅く、またも一振りされた男の片腕で、男の子はいともあっさり部屋の隅に飛ばされてしまう。落下の直前、何かにぶつかる乾いた音とともに真っ赤な飛沫が散って、床にうつぶせに転がった男の子は動かなくなってしまった。
「嫌よ…ジョン、起きて! あなたお願い、あの子を見てあげて…まだ動かないし、血が見えたのよ…ジョン!」
「全くうるせえ婆ぁだぜ、息子の面倒ばかり見やがって。月に一度くらい、亭主の名前でも叫んだらどうなんだ! それとも、もう忘れちまったのか?」
 そう言いながら、男は全くの無表情でこぶしを振り上げ、母親の顔と言わず腕と言わず、何度も振り下ろす。
「…お願い…誰か…。あの子を助けて。神様…!」
 そして、母親の悲鳴が涙声に変わった瞬間だった。

「警察だ! 今すぐ殴るのをやめなさい! でなければ暴行の現行犯で逮捕することになるぞ!」
 扉の開く大きな音とともに、6フィートはありそうな若い男が戸口に現れた。
 だが、身分証を高く掲げながらツカツカと入って来たその男は警官の制服を着ていない。代わりに、紺に近いブルーの長いマフラーを首に巻き、ブランド物らしい黒いロングコートの裾をひらめかせて、あっけにとられている男の襟首をひっ掴むと母親から無理やり引き離す。そして、男の両腕を背中に回し、首のマフラーを片手で外すと、見事な手際で男の両腕を縛り上げた。
「け、警察だと? ふざけるなよ! この長ったらしいマフラーは何だ、手錠も持ってねーのか?」
「…驚いたな。お前の発言は許されてないぞ。正当防衛で射殺される覚悟が、お前にあったとはな。」
 コートの男は穏やかに応じただけだったが、氷のようなブルーの瞳をキラリと閃かせ、十分な効果を発揮した。それ以後男は口をつぐみ、煩わされることはなくなったのだ。
「奥さん、お怪我はありませんね?」
「…ありがとう、大丈夫です。主人はいつも、急所は避けるので…。私が死んだら殴る相手がいなくなってしまうから。それよりジョンの様子が…。」
 コートの男は素早くテーブルを回り込み、うつぶせのまま動かない男の子の傍に屈み込む。
「…なるほど、額が割れていますが大丈夫、傷はそれほど深くない。顔色も悪くないし、血は乾き始めてます。でも腫れるでしょうから…動けるようなら、濡らしたタオルを持って来て頂けますか?」
「すぐお持ちします!」
 コートの男が、母親から手渡された濡れタオルをそっと、男の子の額の傷口近くにあてがう。
「…んっ…。ママ、冷たいよ…。」
 すぐに反応があり、男の子が目を開いた。
「ジョン、大丈夫か?」
「…おじさん、誰?」
「オジサン、だと?」
 コートの男は明らかに男の子の反応に戸惑い、すぐに言葉が返せないようだ。
「ジョン、この方はお巡りさんよ。私たちを助けて下さったの。」
「警察の人? ママが通報してくれたの?」
「いいえ。でも、きっとお隣のチャップマンさんが…。」
「ボク…お礼に行かなくちゃ。」
 男の子が苦労して起き上がろうとしたが、コートの男が肩を掴んで優しく押し戻す。
「まだ動くなジョン。めまいが酷くなるぞ。」
 そっけない言葉と裏腹の気遣うような眼差しに、男の子も戸惑っているようだった。
「…それに奥さん、実は僕は通報で駆け付けたのではありません。今日は非番で、しかもこの地区は管轄外。たまたま通りがかったらあなたの悲鳴が聞こえたので…。」
「まぁ! それじゃ、お休みのところごとんだ迷惑を…。」
「ああ、いや。これが僕らの仕事ですからお気遣いなく。ただ、管轄外で連行出来ないので、飛び込む直前に地元の警察に通報してあります。そろそろ彼らも来るでしょうから、僕はこれで…。」
「あらそんな、すぐに淹れますからお茶の一杯でも…。」
「申し訳ない、友人との待ち合わせ時間が迫ってるもので…。」
 コートの男がそう言い残し、男の子の家を辞してしばらく歩くと、後ろからジョン、まだだめよ、という声が追いかけてくる。まさかと思って振り向くと、男の子が覚束ない足取りながら後を追って来ていた。慌てて駆け寄るコートの男の腕の中に、そのまま倒れ込む。
「まだ動くなと言ったろう!」
「だって、ありがとうって言ってない!」
 コートの男が、イラついて頭を大きく振った。
「また会えるから大丈夫だ!」
 男の子の顔がパッと輝く。
「ホントに? 会えるって、また来てくれるの?」
「ああ。気になることがあるから、明日にでもまた来るよ。お母さんによろしく言ってくれ。」
「わかった。」
 男の子が健気にも、コートの男の腕を離れ、来た道を戻ろうとする。
「ジョン…一人で戻れるか?」
「ねぇお巡りさん、ボク…。」
 気が付くと、こちらを振り向いた男の子の眼からは大粒の涙がこぼれている。
「…ボク一人じゃ、ママを守れないんだよ…!」
 コートの男の腕が伸びてきて、しゃくりあげる男の子の頭に大きな手をのせた。
「大丈夫だ、ジョン。君は強くなる。子供ってのは日々大きくなっていくんだから、心配しなくていい。」
「…ホントにそう思ってくれる?お巡りさん…」
「…僕は思ったことじゃなくて、事実を言ってるんだよ、ジョン。」

 男の子が家に戻ると、コートの男の言葉通り制服制帽の数名の警官たちが父を連行するところだった。戸口に立って小さくなってゆくパトカーの赤色灯を見つめていると、傍らの母が小さな溜息をつく。
 今の英国の法律では父の拘留はほんの一晩で、すぐに元の生活に引き戻されてしまうだろう。男の子はコートの男の言葉を、一人噛みしめていた。

『大丈夫だ、ジョン。君は強くなる。…』
『…ホントにそう思ってくれる?お巡りさん…』
『…僕は思ったことじゃなくて、事実を言ってるんだよ、ジョン。』


【続く】